日本にウイスキーの製法をもたらした竹鶴政孝。大正時代に彼をスコットランドに派遣して2年間にわたってウイスキーの製法を学ばせ、帰国後「ウイスキー実習報告書(竹鶴ノート)」を上司として受け取ったのが岩井喜一郎その人でした。
岩井はその後、大学で教鞭をとり酒精の講義をすることになるのですが、その教え子で後に娘婿となる本坊蔵吉の会社の顧問に就任します。これにより、ここにまたひとつ日本の風土を活かした本物のウイスキーづくりが始まりました。その夢と技術は現在、長野県宮田村の信州マルス蒸留所に受け継がれ息づいています。
朝ドラで、今をときめくマッサンこと竹鶴政孝が伝えたウイスキーづくりの夢の一端を確かめに、中央アルプスのふもとに建つ「本坊酒造(株)・信州マルス蒸留所」にやって来ました。
蒸留所を呼びよせたのは、
中央アルプスからの清水でした
中央アルプス駒ケ岳を源とする太田切川
「岩井喜一郎は、一度の蒸留でアルコール度数95%まで上げられる連続式蒸留機をつくり上げたんです。それが岩井式連続式蒸留機です」と信州マルス蒸留所の竹平考輝所長は話しはじめました。
本坊酒造は最初鹿児島でウイスキー造りを始めましたが、その後蒸留所を山梨に竣工し、さらに理想の地を求めた結果、1985年に上伊那郡宮田村にたどり着いたのだといいます。
昨年11月に入れ替えられた新しいポットスチル
なぜここに蒸留所が作られたのかといいえば「理想的な環境、とりわけ水がいいから」とのこと。蒸留所は、中央アルプス駒ケ岳を源とする清冽な太田切川の左岸に建っていて、残る三方は林に囲まれ空気は澄み、静寂に包まれています。日本にあるウイスキーの蒸留所は十指に満たないほどですが、そのうちの一つがこの地にあるのは偶然ではないようです。
一帯は駒ヶ根高原と呼ばれ、夏と冬の温度差は実に50度近くにもなります。一年を通してのこの大きな寒暖差は、何年も樽の中で眠るウイスキーに膨張と収縮という深い呼吸を引き起こし、ウイスキーの味わいに大きく影響を及ぼすのです。
さらに竹平所長は意外なことを言いました。それは気圧です。「ここは日本で一番高いところにある蒸留所で、その分気圧が低く、そのためにエンジェルシェアが多いんですよね」。長い間樽に入れられたウイスキーは少しずつ揮発し減っていく、これはエンジェルシェア(天使の分け前)といわれ、この量が多いこともここのウイスキーの個性をつくる要素の一つなのでしょう。
岩井喜一郎設計のポットスチルと竹平所長
原料となる麦芽を保管する倉庫
麦芽のデンプン質を糖に変える糖化室
醗酵室。麦汁に酵母を加えて発酵させる
「すぐには答えが出ないところ、
それが難しさであり面白さでもありますね」
「最低でも3年間は答えが出ないんです」と竹平さん。つまり何かを試みをしたとしても成功なのか失敗なのか、狙い通りの味や香りになったのか、それが分かるのは早くても3年後、時には5年、10年とかかってしまうのだといいます。他の酒に比べ「時間」というものが味わいに深く影響し、それがウイスキーの何とも言えない不思議な魅力をつくり出しているんですね。
糖化、醗酵、蒸留と原酒ができるまでの1週間はできうる限りの様々な試みがなされます。どんなピートを使うのか、酵母はどの種類にするのか、樽はバーボンかシェリーか、それとも・・・。無限大ともいえる組み合わせがあり、樽の大きさが違うだけでも熟成の期間や味に大きく影響するといいます。しかし樽詰めされてしまえばあとは自然にまかせるしかありません - 何年もの間。
「日本のウイスキー」を目指して
日本で酒造りの責任者と言えば、昔ながらの杜氏さんが持つ頑固一徹のストイックなイメージがありますが、竹平所長はとてもソフトな方で、ハッピーな気持ちでお酒造りをしていることが伝わってきます。
そんな竹平さんの夢は、この土地で育った大麦を使い、ウイスキー造りを地域の文化といえるまでに育て上げること。現在のようにスコットランドから大麦を輸入した方が安定的な生産はできますが、ウイスキーの魅力はそういった合理性では語れないといいます。
この地域は「伊那谷」という呼び名に似合わず広大で豊かな土地です。竹平さんの夢が叶い、この土地が名実ともに日本の風土に寄り添い、地域の魅了を生かした「ウイスキーの里」となる日が楽しみです。(つかはら)
- 〒399-4301 長野県上伊那郡宮田村4752-31
- TEL 0265-85-4633
- ※試飲コーナー・売店が併設されています。
- ※事前申し込みで工場見学もできます。