片桐さんの農事録
[片桐さんの農事録]

みなみ信州発☆羊と暮らすゆきさんの農事録 第47回

ゆきさん農事録

 

こんにちは!^^*
11月半ばを過ぎ、漸く朝晩に本来の季節の寒さを感じる様になってきました。私は全身ぬくぬく電気毛布大好き人間なので、周りに足下あったかの湯たんぽ派が多くてちょっと驚いているのですが(笑) 寝るときに布団が暖かいことに感謝せずにはいられない季節の到来、皆様いかがお過ごしですか?

 

南信州誇る「市田柿」

ゆきさん農事録

 

先週更新分の農事録でも、最近の新聞紙面でもよく見かける「市田柿」。南信州が日本国内だけでなく世界に誇る特産品、私も一度は自分の記事で取りあげたいと思って居たので、近所の農家さんにお邪魔して写真を撮らせていただきました^^*
ちょっと話題かぶっちゃいますが、編集部の方の「ポテッとおいしい市田柿」の記事と併せて読みつつ、お付き合い下さいね!

市田柿とは、100年ほど前に市田村(現在の高森町)で「焼き柿」と言われていた干し柿を「市田柿」と名前を付けて都会の市場に売りに出したことが始まりと言われています^^ なんと飯伊地区では、5~600年ほど前から干し柿は作られていて、現在では500ヘクタールの農地で約5000戸もの農家さんが、干した状態で2000トンの市田柿を生産しています。干し柿は生柿の3分の1程度になると言われています。市田柿用の渋柿は、手のひらにすっぽり収まる小振りサイズなので、重量がいまいちピンッときませんね(笑)

ゆきさん農事録

 

生産過程では驚くほど人の手がかけられていることは、皆さん読んでご存じかと思います^^
一昔前はヘタの部分に太い針を刺して固定し皮をむいていましたが、その内部からカビが生えやすいと言う事で、最近は吸盤で吸い付け、柿自身には傷をつけない仕組みになっています。同時に、子供の頃は一本の紐でヘタをくるくるっと巻いて吊していたのを見た記憶があるのですが、今は写真の様にクリップにヘタを引っかけ、取り外しが比較的簡単な仕様になっているんですね!
どちらにせよ、一つ一つが完全な手作業。それだけでも気が遠くなる様な手間なのですが、およそ20~25日間の干しの期間、4日間隔で硫黄燻蒸を行ったり、常に温度湿度を管理しなければならず、気が抜けません。
そして、干し期間の20日前後に重要な過程があるのですが、市田柿の原料柿は渋柿です。渋柿食べたことあります? この世のものとは思えない不味さなんですけど(笑) この頃に柿ハウスの温度を2回、28度程度に上げてあげると不思議と、柿の渋みが糖度に変化していくのだそうです。

ゆきさん農事録

 

そうして干された市田柿は、粉を吹かせるために「もみ」の作業に入るのですが・・・。
上の写真見て分かります? 同じ日に収穫して同じ工程で干されても、柿の個体差とでも言うのでしょうか、サイズや木の特徴などの影響で、同じタイミングでは干されてくれないのです(笑)
生乾きの柿をもみの機械に入れてしまうと、中から水分がどばっと出てきて大惨事になるとか><; そこで、これらのまだ乾きが十分でないものは、それだけをもう一度まとめて連にし吊し直すのだそうです。要所要所が機械化され、手間がかかれども連毎に作業は出来るものと思って居たので、この辺りの話は本当にビックリでした。慣れ親しんだ方言で言うなら、市田柿の生産にはとにかく「ずく」がいるんですね。

完成して店頭に並び始めるまでには約1ヶ月。飯田市近辺ではコンビニでも市田柿が売っています^^* 近くにお立ち寄りの際は是非買って、上品な甘さの市田柿をご賞味下さい♪

 

市田柿の魅力が世界へ

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で、トップ写真です。
皆さんは柿の木の高い位置にぽつりとひとつ、柿が残っている風景を見たことありませんか?
我が家には富有や次郎、筆柿など、もいだらそのまま食べられる甘い柿が何本か植わっているのですが、この最後に少し残す柿の事を「守り柿」だと教わりました^^ 柿の実を1~7個程度残し、柿の木に感謝すると同時に、冬を越す動物たちに残してあげる意味もあるそうです。
これって地域特有のもの? と思い調べたら、なんと「木守柿(きもりがき・こもりがき)」「木守(きまもり)」は俳句の世界で冬の季語なんだそうですね。何百年と言い伝えられたことが私にも繋がっているんだなぁ、と妙な感動を覚えました^^*

一方で、最近手付かずで放置されている市田柿の畑もよく目にするようになりました。大きな企業が柿を買い上げ市田柿の生産に乗り出している話も聞きますが、それでも農家の高齢化や短期集中生産なために手が回りきらず放置されてしまうのだと言います。
お話を伺った農家さんが、日本での市田柿の特需は12月から1月がピークだけれど、お正月のずれる他のアジア諸国では1月~2月の引きが強い。これからを担う地元の子供達に今以上の授業や体験学習を通して、市田柿の生産に興味を持って貰えたら、もっと海外への輸出や活用の幅が広がるんじゃないかなぁ・・・と話されていて、なるほどなぁ、と。

市田柿の生産だけで生計を立てている農家さんはまずいませんが、だからこそ、同じ生産量を国内のピーク後に需要の強い所に供給することで、値を下げずに販売する輸出を視野に入れた戦略も(実際、市田柿の輸出量は年々倍々で増えているようですが)、今後はもっともっと大切になってくるのかもしれませんね。
海外旅行先で、日本語のシールと並んでアルファベット表記な「市田柿」を当たり前の様に見られる日が来るのも近いかも^^*

 

日々、挨拶と感謝を大切に

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最後になりましたが。
先月末、祖母の一周忌をしたんです。そうしたら、その数時間後に祖父が亡くなって、家族は勿論、一周忌でお世話になった方々も驚いて(そりゃ当然驚きますよね)、1年前の祖母の葬儀をなぞる様な日程で祖父の葬儀をすませ、でもあまりに突然だったので言い方は悪いですが、何も準備をしておらず、長い危篤状態が続いた祖母の時以上に慌ただしい毎日でした。礼服をクリーニングに出し、祖父の携帯の解約をし、最近漸く落ち着いてきた気がします。

95歳。痴呆はなく何でも自分でやっていたせいか、家族に感謝するとかそう言う事を全く口にも態度にもせず(笑)、とにかく自分だけで自分の好き勝手に生きた人だったので、家の中に他人以下の存在が居る様な祖父でしたが、最期は祖母が迎えに来てくれたのかなぁと思って居ます。

ゆきさん農事録

 

私は今、とても個人的なことで親身にして下さる方達が居て、なんでこんなに私に事を気に掛けて下さるのかなぁと感謝しかないのですが。そう言う方達と将来のこととか色々話す度に、感謝の気持ちのありがとうだけじゃなく、毎日のおはようとかおやすみとか、いただきますにいただきました(ごちそうさまでした)、美味しいとか嬉しいとか、そういうのは全部全部、態度だけじゃ無く言葉にしなかったら伝わらないと感じています。

今の片桐牧場があるのは祖父がこの土地を拓いたお陰ではあるのですが、外を飛び回って家族を顧みなかった祖父との思い出はほぼありません。おじいさんは凄かったって言われても、孫には家の中での事しか記憶にないんですよね。だからこそ、何か特別な時ではない「日常」を彩る言葉って、とてもとても大切だと思います。
可愛いとか格好いいとか素敵とか、自分が言われたら嬉しい言葉って、多分、他の人だって言われたら嬉しい事が多いですよね。何か特別な凄いことを出来たらそれはそれで最高だけれど、身近に転がっている大切な事こそ、ちゃんと気付いて拾い上げられる、私はどちらかといえば、そんな人になりたいです。

今月は酪農の話・・・しませんでしたね。子牛の角焼きがあったり、お母さん牛もー達の爪切り(削蹄)があったり、祖父の通夜の1時間半前に産気づいた牛もーが居てマジ空気読まない! みたいになったりしてましたが(笑)、旬の市田柿を選んでしまいました^v^

さて。そろそろインフルエンザがニュースになる頃でしょうか。我が家も月末には予防接種予定ですが、予防接種をしてもインフルになった事例が家族に居るので(笑)、手洗いうがいと、疲れた時には思い切ってしっかり休む! を実践したい所です^皿^

さぁ今年も残り1ヶ月とちょっと。毎日の挨拶や感謝の気持ちはちゃーんと声に出して、お互い元気に頑張りましょう!

では、また♪

ゆきさん農事録

 

 

この記事を書いた人

片桐由貴さん

伊那谷をまっすぐ南に向かって流れる天竜川流域の牛舎で、仕事と趣味、どちらも楽しむという片桐由貴さん。大学卒業後「やっぱり牛が好き!」と、家族の営む酪農に就農して12年。80頭ほどの牛たちと、ペットの羊2匹、猫5匹と過ごす日々を綴ります。

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