夕方、
ひんやりとした空気の
降りる時間が
少しずつ
早まってきました。
作業が困難なほどの
暗さになれば、
なんとなく
心細い気持ちになって
家路を急ぎます。
煙突からの煙
は薪風呂のしるし。
お湯がありがたい季節に
なりました。
つい先日、自家用である米の脱穀が終わりました。9月下旬にプルーンと桃の収穫を終え、稲刈りがあり、そしてとうとうぶどうも終わり、この時期は重い荷物を次々に下ろしていくような感覚です。
7月下旬に始まった桃やプルーンといった核果類の収穫は、熟期が読みにくいため毎日がとてもせわしく、なかなか心休まる時がありません。期間にしてわずか2ヶ月ですが、大雨だろうと何だろうと毎朝収穫に向かう日々はとても濃密で、頭で考えるよりもまず何とかして身体から動かすことの連続でした。
そんな張りつめた日から解放されても、夏の疲れはすぐには身体から抜けず、しばらくは腑抜けの状態です。そして稲刈りがあり脱穀があり、そうした普段の仕事とは違う作業をするうちに徐々に気力が戻る、というのがいつもの調子のようです。
五感をくすぐる秋
暮らしにやや余裕を取り戻してからは、気持ちもどこか穏やかです。秋の気候がそうさせるのか、または単純に秋が好きだからなのか。そのあたりはよくわかりませんが、私にとって秋とは、ほっと一息つける時期に贈られるご褒美のようなものです。
この季節は味覚をはじめ、五感をくすぐるもので溢れていますが、その筆頭が「におい」です。金木犀の花、稲わら、焚き火の煙などの芳香が漂ってきた瞬間はたまらないものがあります。身体に秋を知らせるのには一番有効かもしれません。
次に「色」。今年一年の仕事を終えた草木たちの、冬に向けて色褪せる過程に惹かれます。普段あまり気に留めなかった草の存在が、夏よりも際立って見えるのはなぜか。そんなことを考えながら、畑の行き帰りに自転車を何度も降りては道ばたの草をカメラにおさめたりしています。散歩をしている人が時々不思議そうに見るのがちょっと気になりつつ...
ほかに「音」「感触」と続きますが、個人的な執着を披露するのも何ですので、この先はご想像下さい。
秋の美しさ
季節の変化はある時突然に訪れるようでいて、本来は連続しているものです。その変化の輪郭がはっきりとした時ようやく私たちは季節の深まりに気づくのですが、前の季節があるからこそ今の季節が素晴らしいのだと、あらためて四季の尊さにも気づかされます。そして、大きい秋も小さい冬も、一つ一つを見つけることが毎日のささやかな楽しみになっています。
一つ一つの うつくしいかけらがつくる秋のうつくしさ。
もしも誰かに、平和とは何か訊かれたら、
秋のうつくしさ、と答えたい。
長田弘 「2011年、秋の遠景」より
私がこの場でどれだけ文章を練っても、やはり"言葉の人"にはかないません。せっかく夜長の季節になったのですから、読書にも時間を割き、夏に放ったらかしにしていた感性を少しは磨きたいと思います。
どうぞ、穏やかですてきな秋をお過ごし下さい。
それでは、今回はこのへんで。
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