さて、果樹の剪定作業も残りわずかとなった今、剪定で落ちた枝を片付ける「枝拾い・枝こなし」と呼ぶ作業をしています。「こなし」は漢字で「熟す」と書くようなのですが、『自在に扱う』『処理する』『細かく砕く』等の意味があり、この場合は枝の太い部分と細い部分とを専用の鋏で切って分別することです。
畑に落ちている枝を1本1本拾うのは、とても骨の折れる作業です。樹勢が強かったり、間伐を行った畑では落ちた枝の量も半端ではなく、見ただけでめまいがしそうな時もあります。ただ、こんな黙々と「こなす」地味な作業も、私にはなかなか感慨深いものがあります。6年前、この地へ越して来て初めての農作業がこの「枝拾い・枝こなし」でした。
夫の実家には掘りこたつがあり、お風呂も薪を焚いて沸かします。薪の風呂というと(以前の私がそうだったように)五右衛門風呂のようなものを想像するかもしれませんが、熱源が薪というだけで見た目はごく普通の浴槽です。冬の掘りこたつと薪風呂の心地良さを知ってからは、枝拾いも枝こなしも何だか楽しくて、畑に燃料を収穫に行くような気分になったものです。
残念なことに今ではそんな気分も薄れつつありますが、iPodで音楽を聴きながらリズミカルに楽しんでいます。まぁ、音楽でも聴かなきゃやってられないというのが正直なところなのですが(笑)。農業はとにかく一つ一つこなして進めて行くという作業の連続です。そんな農業の地道さを、最初に取りかかった作業で垣間見れたことが、今の農作業での心得に繋がっている気がします。
果樹栽培をしていると、りんご・桃・プルーンなどの木が薪になります。そしてわが家の場合は、こたつの火種には消し炭(燃やした細枝を途中で消して炭にしたもの 写真下)、風呂には薪、薪ストーブにも薪...というように、日々の暮らしにおいても木にはお世話になっています。
火というものが身近になったこと。それも今の暮らしになって変わったことの一つです。私たちが使う薪ストーブは、薪や小枝の準備から始めて暖まるまでに最低でも15分はかかります。薪の風呂は沸くまでに真冬ならば1時間半。どちらも忙しい現代人には到底不便なものに感じられるでしょうが、何物にも代え難い暖かさはすでに必需品です。このような道具を使いこなす余裕のある今の暮らしが気に入っています。それも、この暮らしを長年続けて来た夫の両親のおかげであり、感謝せねばなりません。
ところで、火の中に薪を足すことを「くべる」と言いますが、漢字では「焼べる」と書くことをつい最近知りました。火を扱っていると「くべる」「焚き付ける」「熾(おき)」という言葉をよく使いますが、果樹農家である間はこんな言葉を使いながら最後まで木と付き合っていけたらいいなと思います。くれぐれも火への畏れを忘れずに。
外の作業から戻ると何よりも先に薪ストーブの準備をします。また、心底冷えた時には母屋の掘りこたつへ直行します。冷えた身体をじわじわと温めながら、この暖かさを享受する期間もあとわずかだなぁと、ちょっと淋しく思うこの頃です。
それでは、今回はこのへんで。