うどんまたはそばを「おしぼり」でいただく食べ方があります。「おしぼり」が何かは後述するとして、この食文化は長野県東北部の限られた地域だけに根づいています。
さて、「おしぼりうどん」、または「おしぼりそば」と称される食べ方を説明するために、まず「ねずみ大根」というユニークな大根の話をしなければなりません。
ねずみ大根は、下ぶくれの形で葉っぱの先が尖っているのが特徴
とても辛く、そして甘い「ねずみ大根」
長野県の東部に位置する坂城町には「ねずみ大根」という、このあたりではちょっと名の知れた地大根があり、「信州の伝統野菜※」にも認定されています。名前の由来となる、ねずみに似た下ぶくれの変わった形をしていますが、その真髄はむしろ味にあります。それは激辛!
いわゆる辛味大根と称される大根にもさまざまな種類がありますが、ねずみ大根はかなり辛めの品種ではないでしょうか。この大根に会うために、坂城町の生産者、片山吉一さんを訪ねました。
※信州の伝統野菜とは。長野県内各地域の気候風土に適応して特徴的な味や形、香りなどを持った多種多様な野菜が、貴重な「食の文化財」として脈々と受け継がれてきました。「信州伝統野菜認定制度」の一定の基準を満たしたものを「信州の伝統野菜」として選定しており、現在54種が認定されています。
ねずみ大根は普通の大根よりかなり固くしまっていて、すりおろすのはひと苦労です
「いつから作ってるかと言われても、少なくともじいさんの代では作ってたとしか言えない」と片山さん。資料によれば、江戸時代にこの地に伝来したとされるようで、その歴史の長さに驚きます。
育て方は普通の大根と変わらないとのことですが、ねずみ大根の場合は必ず何回かは霜にあてるのがポイントなのだそう。霜にあたることによって内部にでんぷん質を蓄え、味わううちに甘さを感じる大根になるのだといいます。
つまり単に辛いだけの辛味大根ではなく、その奥に甘さも蓄えさせてこそ、ねずみ大根と名乗れるというわけですね。ですから収穫は、年にもよりますが11月の後半から12月にかけてになります。
このねずみ大根は、この地域特有の気候や土壌によって育まれた品種であるため、ほかの地域では育たなかったり、本来の味や形にならないとのこと。まさに地域限定の味覚です。
「おしぼり」という食文化
ねずみ大根は、その辛さを活かして大根おろしによくされますが、この地域ではうどんやそばのつけ汁として好んで使われます。これが「おしぼりうどん」や「おしぼりそば」です。この土地で「おしぼり」とは、辛味大根をすりおろしてぎゅっと絞ったその汁のことを指します。
おしぼりでうどんやそばを食べる習慣は家庭でも普通にありましたが、前述したように、おおむね長野市南部から千曲市そして坂城町あたりに限られています。それぞれの地域の辛味の効いた地大根が使われてきました。
じつは吉一さんが大根を作っている畑の真ん中で、妻のしさ子さんがそば・うどん店をやっていて、ここでおしぼりそばを食べさせていただくこととなりました。お店の名前は「かいぜ」といいます。ご主人はそばを打たずに大根作りに専念し、しさ子さんはそば打ち専門とは、見事なコンビネーションというほかありません。
おしぼりの泡は、大根自身が寒さから身を守るために蓄えたでんぷん質によるものだそう。時間が経ってもなかなか消えない
初冬のこの時期ですから、いただくのはもちろん新そば。そばとおしぼりのほかに麦味噌とカツオ節とネギがついてきました。おしぼりそばは味噌を混ぜ入れて食べるのが定石で、それ以外はお好みです。
しさ子さんのアドバイスによれば、味噌は少しずつ分けて入れるのがコツ。その理由は味噌の量が増えるにつれて辛味が薄くなるからで、段階的に入れて自分の好みの辛さをさぐります。
辛さが勝ちすぎて、そばの風味がちゃんと味わえるのだろうか、との心配が頭をよぎりましたが、さにあらず。醤油ベースのつゆに慣らされてきた私にとってもこのおしぼり汁は新鮮で、こちらの方がそば本来の味わいに直接触れられるのではと思ったくらいです。
わさびとは違う少しツーンとした感覚の中で、細打ちのそばの味が際立ってきます。もっとも、隣にいた吉一さんの「子どもの頃は辛くて嫌いだった」という言葉もうなずけるところ。大人の食文化ですね。
このそばは、確かに辛くてうまい。でも食べ進むうちにちゃんと甘みも追っかけてくるところは、さすがねずみ大根のおしぼりと言ってよいでしょう。
実際には一年中おしぼりそばは食べられるのですが、新そばとねずみ大根の旬が重なるこの11・12月をねらって来店する方が多いとのこと。気持ちはよくわかります。
この店では通常のそばつゆ(といっても、これはこれでこだわりの詰まったもの)に、おしぼりを注いで混ぜて食べることも可能です。この場合、味噌は入れません。かいぜオリジナルのこのメニュー、試してみると、これもまたいいのです。
そばの本場長野県で、地域に根を張ったおいしいそばの食べ方を堪能しました。
ねずみ大根の番外情報
ねずみ大根焼酎
ねずみ大根を原料とした焼酎も作られていて人気です。アルコール25度の「ねずみ大根」とアルコール50度の「大辛ねずみ」があります。いずれも毎年生産量が限られているので季節により品切れとなってしまいますので、お気をつけください。
大辛ねずみ 720ml
ねずこん
マスコットキャラクター「ねずこん」をあしらったさまざまなグッズが作られていて、町内で販売されています。これも人気です。
この写真以外にもいろいろな「ねずこんグッズ」があります。お気に入りを探してみよう!
坂城町ねずみ大根振興協議会
一時失われつつあったねずみ大根の復活と生産振興を目的として、平成11(1999)年にねず坂城町ねずみ大根振興協議会が設立されました。現在の会員は29人で、もちろん片山吉一さんもそのひとりです。
>>坂城町ねずみ大根振興協議会ホームページ