長野県中部の塩尻市、松本平の南端中央線塩尻駅の西北に広く広がる大地は桔梗ヶ原(ききょうがはら)と呼ばれている。この北アルプスを望む桔梗ケ原は、かつて(江戸時代)は一面の草の海だったものの、現在は日本でも有数のブドウの産地として知られているところだ。
塩尻市と木曽をつなぐ国道19号線(中山道)沿いには、右も左もどこまでもブドウ畑が広がっていて、観光で訪れた方もあるかもしれない。夏が終わった直後の今の時期にこの辺りを散策すると、ブドウの甘い香りがあちこちから漂ってくる。歩いているだけで思わず顔もほころぶ、ブドウ好きにはたまらない楽園といえるだろう。
国道19号から少し奥に入ったところに、今回お邪魔した高橋米子さん(65)のブドウ畑もある。自宅に隣接した約1ヘクタールの畑では、デラウェアやナイアガラ、巨峰、コンコードなど多くの品種が育てられている。折しも現在はデラウェアが出荷のピークを迎えていた。作業中の高橋さんに少しだけ話をうかがうことができた。
ブドウ栽培という経験
「わたしがここに嫁いできたのが昭和39年(1964)のこと。当時はブドウを木の箱で出荷していたので、おじいちゃんがトンカチで釘を打ちつけて、出荷箱を作っていたんですよ。今の段ボールの出荷箱は、孫でも手伝いで作れるんだから、当時から考えると大きく変わりましたね。うちの実家も農業をしていて、小さいころから田んぼで親の手伝いをしていたから、嫁いでからのブドウ栽培も特に苦労だとは感じなかったですね。作る物こそ違うけれど、小さいころの農業の経験は確実にブドウ栽培に生かされているから、そういう経験をさせてくれた親に今ではとても感謝しています。子どものときの苦労は、大人になって必ずどこかで役に立つもので、人生には千に一つも無駄なことはないって教えてくれたんですから」
そうは言っても、初めて取り組むブドウ栽培に戸惑いなどはなかったのでしょうか?
「基本的には、おじいちゃんの仕事ぶりを見よう見まねで学んだんです。でも当時は男がやる仕事、女がやる仕事っていう風に作業分担があったから、すべてを教えられたわけじゃなかった。だから、夜中に隣のおばあちゃんの畑を見に行って、枝の留め方なんかを研究してみたりしたものです。それでもやっぱり、おじいちゃんがしっかり仕事をこなしてくれたから、苦労を感じたことはなかったですね」
デラウェアが出荷ピークの現在、作業は早朝から?
「デラウェアは、朝6時30分の受付に合わせてJA塩尻市の共選所に持ち込みます。そのあとは暗くなるまで、ブドウを切って箱に詰める作業が続くんです。でも、今はまだ良いほうで、これからナイアガラや巨峰なんかの出荷もはじまると、それこそ朝の出荷は分刻みのスケジュールになっちゃうんですよ」
その分刻みのスケジュールの時が、もうすぐそこまで来ていますね。ところで、このブドウ畑、なんだかとても涼しいのですが・・
「お手伝いに来てくれる人がいるんだけど、暑い中を歩いてきてブドウ畑に入るもんだから"なんで、ここはこんなに涼しいの!?"って驚いちゃってね。棚一面に広がったブドウの葉が日陰を作ってくれますからね。畑や田んぼは本当に暑い中での作業になるけど、そういう点では、ブドウ畑は恵まれているのかも。でも、このブドウ棚の高さが年々、少しずつ下がってきているの。木の重さだったり、ステンレスの針金がゆるんできているのかしらね。でも、わたしの身長も年とともに縮んでいるから丁度いいのよ。高いといちいち台に登らないといけないから大変でしょ」
今年の出来はどうですか?
高橋さんは少し声を立てて笑った。あまり作業のじゃまになってはならない。最後に今年の出来と今後について聞いてみた。
「今年は、すごく暑かったせいか、少し病気のブドウが出てしまいました。でも、全体的には粒の張りもいいし、玉伸びもいい。おいしいブドウができたと思ってます。なにごともなく収穫できるのが一番だけれど、農作物はその年、その年で出来が違うから、何年やっても気持ちは毎年一年生ですね。今後の目標は、とにかく現状維持。若い時のように動けない中で、今の状態を維持することが大事だと思っています。でも、死ぬまでに一度は、"これ以上のブドウはない!"っていうくらい最高のブドウを作りたいですね」
高橋さんのぶどう園でのデラウェア収穫量は、2キロのケースで1日当たり100ケースほど。年間では2000ケースを出荷するという。テキパキと作業をこなしながら、素敵な笑顔でそんなことを話してくれた。
参考サイト:
JA塩尻市のウェブサイト
JA塩尻市ワイン農産物直売所のページ
JA塩尻市ワイン直売所アクセスマップ