わたしたちとキクとの関係はこれからも続く

kiku_01b.gif8月の旧盆は、日頃、故郷から離れている家族や親戚が久々に顔を合わせたり、和やかな団欒を持つ方も多い時です。お盆のこの時期に多くのご家庭では、仏さまに花をお供えする機会も多いはず。そうした花のひとつにキク(菊)があります。

キクというと仏様に供える花のイメージが強いですが、最近はそのイメージを払拭するような咲き方、色や花型の品種改良が進んでいます。そして、キクの歴史は古来からわたしたちの文化と深く関わってきました。

はじめは不老長寿の妙薬として
キクは切花用としての生産量が最も多く、さまざまな品種があり年間を通じて出荷されます。日本へは天平時代以前に中国から薬用として渡来したといわれます。キクは貴族社会で不老長寿の妙薬として扱われました。延命長寿を願い、邪気を払う儀式である「重陽の節句」に菊花の宴がひらかれたと今に伝えられています。

夏ギクは江戸時代にできた
江戸時代には更に改良された優良品種が導入されました。その頃の菊は秋咲く秋ギクで、この秋ギクから短日性(夜の長さが一定以上になると花芽をつける性質)を失った夏ギクが突然変異で生まれたのです。

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明治時代のキクの花
かくして明治時代には夏ギク、秋ギク、寒ギクなど相当数の品種ができたということです。また、この時期には花の大きな輪ギクがとりわけ好まれました。そして同じ明治時代には、キクが天皇家の皇室紋章(十六弁の八重菊)、皇族は十四弁の裏菊として制定されました。

ヨーロッパで進化するキク
ヨーロッパでは18世紀後半に中国からもたらされたものはあまり普及しなかったとのことですが、その後、日本からさまざまな品種が輸入されると、これが大変な人気を呼び、以後はイギリスを中心にヨーロッパでもキクの育種が盛んになりました。

昭和はキクの新品種の時代
大正期から昭和にかけては欧米から日本へ品種が導入され、昭和10年代に洋ギクと日本在来種の交雑が進み多数の品種が作出されて全国へ広がりました。

日本でキクが一般に営利的に栽培されるのは約半世紀前の1950年代からのことですが、しかし長野県の切花栽培は1920年代の昭和3年頃にすでに開始され、その後、長野県北部の北信地方へ散在的に広まります。50年代以降は県内の有力育種家によって、7〜9月咲きの品種が育成され、栽培面積が飛躍的に増加しました。

長野県におけるキクの栽培
長野県の昔からなじみの深い一輪ギクは、標高300m〜1200mに渡る自然環境に加えて、さまざまな栽培技術(露地、ハウス、昼夜の長さを調節するシェード、電照等)を組み合わせて出荷時期及び期間を広げようとする努力がされてきました。

2005年(平成17年)の長野県でのキク生産数量は5470万本で、長野県中部の諏訪地区と東部の佐久地区がキク栽培の主産地となって全国へ出荷しています。

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スプレーギクは摘らいをせず房咲き仕立て(スプレー仕立て)にする菊のことです。日本の小菊もスプレー仕立てですが、多くは欧米から導入したスプレー仕立て用品種をいうことが多いのです。

その他、近年は花型が従来のキクとは異なる、ぽんぽん咲き(全体の花型が球形)、スパイダー咲き(花弁が直線的)と呼ばれるものも出てきました。新しいタイプのキクはこれまで、利用の少なかったブライダルにおいても使われています。

これからのキクの花
キクの花色全体のなかでの構成比は白が60%、黄色30%、赤6%で、他はグリーン、ピンク、オレンジ、茶、紫等です。そして、今後も新しい花色が作られていって、用途も多様化していくと思われます。

信州のさわやかな高原で大切に育てられたキクを飾っていただければと思います。

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農畜産物や店舗・施設の状況は変わることもございますので、あらかじめご了承ください。

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