寒さ厳しい信州には、寒いからこそ作れる食材がいくつかあります。その中のひとつが「寒天」です。読んで字のごとく、天の恵みの太陽と氷点下の気候と寒風から生まれる特産品です。
長野県では諏訪地方の角寒天がよく知られるところですが、伊那谷には県内で唯一「糸寒天」を作っている小笠原商店があります。高級な和菓子の材料に使われる糸寒天、実は全国的に知られるあの有名な老舗のようかんの原料でもあるのです。
マイナス8度の「寒天日和」
南アルプスと中央アルプス、2つのアルプスを望む伊那谷。すぐ近くを天竜川が流れる伊那市東春近の広大な圃場で寒天は作られています。約2haの平らな田んぼには「よしず」が何枚も並び、その上に並べられた糸寒天が太陽の日差しをいっぱいに浴びていました。取材に訪れた日は雲ひとつない晴天でしたが、朝の最低気温はこの冬一番のマイナス8℃。社長の小笠原寿房(おがさわら・としふさ)さん(72歳)は言います。「今日みたいに寒くて天気の良い日は『寒天日和』です」。
創業は1916年(大正5年)。祖父の代から始まった寒天づくりを受け継いで、寿房さんが3代目となります。当初は山梨県境の富士見町で作っていましたが、傾斜地が多く、土地が狭小だったことなどから2001年にこの地へ移転しました。南アルプスの伏流水とアルプスから吹き下ろす寒風、そしてまんべんなく降り注ぐ日差しを生かし、上質な糸寒天が出来上がります。
京都で生まれ、信州の冬が育てた
ごく簡単に説明すると、寒天は「ところてん」を凍結・乾燥させたものです。そもそもの始まりは、江戸時代の初期にまでさかのぼります。当時、京都伏見で旅館を営んでいた美濃屋太郎左衛門(みのや・たろうざえもん)が、料理に使ったところてんを屋外に放置したところ、真冬の寒さで凍結し、それが日中の日差しで自然解凍されて乾燥し、いつしか白く半透明な乾物に変わっていたのでした。その乾物を試しに煮てみたところ、海藻の臭いがない透明なところてんができたのだそうです。その後、高僧隠元禅師が命名したことから「寒天」になったとされています。
その寒天が信州に伝わったのは今から約180年前、天保年間のこと。茅野市玉川から関西方面へ行商に行っていた小林粂左衛門(こばやし・くめざえもん)が農閑期の副業として製法を持ち帰ったことが始まりで、茅野市をはじめ諏訪地方に広まったとされています。
職人仕事と科学的検査で守られる高い品質
小笠原商店が手掛ける糸寒天も寒天の起源と同じように、凍結・融解・乾燥で作られています。
まずはところてんを作ることから始まります。ところてんの原料は海藻の一種・テングサ。伊豆諸島や紀伊半島、四国から九州など国内外で採れたテングサを使い、地下水を用いて丁寧に洗浄。その後は丸1日かけて水に浸してアク抜きをします。
アク抜きしたテングサは蒸気釜で煮詰めます。小笠原社長は言います。「硬軟のあるテングサをいかに均一に煮てテングサの良さを引き出すことができるのか、これが寒天の品質を左右する工程です。分量だけでは分からない、経験と勘が頼りの職人仕事です」。
写真<左上>テングサ <右上>凍結した状態 <左下>シャーベット状態 <右下>糸寒天のできあがり
煮詰めたテングサは、ひと晩、釜の中で熟成し、抽出ろ過して、やや緑がかった濃厚なところてんとなります。屋外に出されたところてんは夜間の寒さで凍り、日中の日差しで緩んでは融解、乾燥し、また凍結するーを繰り返します。また、乾燥し始めたにもかかわらず、最初の数日間は散水を行って太陽光との効果で漂白作用を促します。こうすることで、当初濁っていた「ところてん」が2週間後、糸寒天になるころには絹糸のような白さと色つやを発するのです。
寒天の品質は、固まる力を数値で出すゼリー強度や歯ごたえを表す粘性などが基準となるのだそうです。こうした基準をクリアするため、出荷する寒天はすべてサンプルを取って県水産試験場で検査し、品質維持に努めています。
あの和菓子の名店 御用達
手間ひまを惜しまない誠実な仕事から生まれる寒天は、昭和30年代から和菓子の老舗「虎屋」のようかんの原料としても使われ続けてきました。だから、品質はお墨付きです。
「天気予報を見たり、天気図を見たりして、常に空の様子をうかがっています。厳しい寒さの中での仕事ですから、弱気ではできません」
こごえる寒さの中、頼もしく身体を動かす小笠原社長をはじめ湿度を確認するため素手で仕事をする従業員のみなさんの姿に、老舗を支える使命と伊那谷で作る糸寒天への誇りが感じられました。
低カロリーで食物繊維が豊富な寒天は美容と健康に良い食品です。糸寒天は水で戻してサラダで食べたり、料理やデザートにしたりとバリエーションも豊富です。ご飯と一緒に炊くと1粒1粒に光沢ができて食感も良くなります。試してみてはいかがでしょうか。
参考リンク
小笠原商店ホームページ