街がイルミネーションに彩られたクリスマスの頃から、お正月、そして冬を過ごして春を迎え、つい先月くらいまでもの長い間、わたしたちはイチゴに親しみ、半年以上にもわたって食べつづけてきました。うっとおしい梅雨があけ夏本番を迎えたら、イチゴのシーズンはもう終わったと思っている方も、多いかもしれません。しかし今、長野県内の、夏に涼しいところに建つハウスの中では、今この瞬間にも、圧倒的な数のイチゴの硬い実が、日1日とその実を脹らませていて、これから11月まで農家は"夏秋(かしゅう)イチゴ"の栽培に追われることになるのです。
想像してみてください。ケーキ屋さんのショーケースの中に、イチゴが飾られていないショートケーキが何ヶ月も並んでいる状態を。今では1年中食べられるケーキに、イチゴは欠くことの出来ない存在ですが、年間を通じてケーキなど業務用の需要があるにもかかわらず、低温を好み暑いのを苦手とするイチゴは、夏から秋にかけての国内の生産が少なく、久しくこの時期は遠くアメリカのカリフォルニアなどからの輸入に頼ってきた状況にあったのです。
しかし近年、それまで国内での栽培が難しいとされていた時期でも収穫できるイチゴが開発されたことにより、安心して口に出来るものを求める声と、そしてまた夏でももっと美味しいイチゴが食べたいという消費者の声に応えることが可能になったのです。夏秋イチゴをつくる生産者を増やし栽培の拡大が進められている長野県の現場から報告します。
標高800メートル以上の夏場冷涼な土地
涼しい気候を好むイチゴは、もちろん県内の至る場所で作ることが出来るわけでなく、標高800メートル以上の夏場冷涼な地域が栽培の適地とされます。この条件にかなう場所の多い信州は、まさに夏秋イチゴの栽培にピッタリの土地で、県内では県北部は上水内郡の飯綱高原や、東部は高原野菜の産地である南佐久地区、また中部のあづみ地区で主に栽培が行なわれています。
県内の生産者が手掛けている夏秋イチゴは、そのほとんどが「サマープリンセス」という名称のもので、地元の長野県南信農事試験場が開発し、2003年に登録されたものです。「麗紅(れいこう)」に「夏芳(かほう)」を交配し、これに「女峰(にょほう)」を交配した品種で、今は長野県でのみの栽培となっており、「夏のお姫さま」という名のサマープリンセスは、60件程の生産農家によって栽培されています。
「とにかく収穫がものすごく大変」標高1,000メートル県北部は飯綱町の、周囲がキャベツやトウモロコシなどの高原野菜の畑に囲まれた場所でサマープリンセスを栽培して9年目の北澤正雄(きたざわまさお)さんが話してくれました。
みな一斉に収穫の時を迎えて
なぜ収穫がものすごく大変かというと、このサマープリンセス、たとえ苗の植付け時期をずらしたとしても、時期を同じくして一斉に花が咲き、夏場は25日後には正確に、そして一斉に収穫の時を迎えるのだそうで、取材にうかがったときまさに7月下旬からの収穫最盛期は刻一刻と迫っているのでした。また南北に長く場所によって気候が異なる長野県ですので、県全体としては8月下旬までが収穫最盛期となります。
『ちょっとまだ酸っぱそう』と思えるタイミングで収穫される夏秋イチゴですが、収穫後も色付きが進むため、これがみなさんの元に届く頃には調度良い色付きとなってお目見えしていることでしょう。ケーキの甘さと良く調和するという夏秋イチゴは、スイカやモモなど夏場の甘い果物と比較をすれば酸味が多く感じられますが、それでも糖度はしっかり7〜8度あるので、加工用ばかりでなくもちろん生食も可能。そしてこれが秋季ともなれば酸味が抜けてさらに糖度は10%を上回るそうで、同じ品種でも時期によって甘さが異なり、秋のイチゴはそれは美味しいイチゴになるのだとか。
赤ちゃんの面倒をみるように
ちなみに果肉がやや軟らかい傾向にあるこのサマープリンセス、イチゴの鮮度を保持するために、収穫後より冷蔵庫で冷やすのだそうです。それに収穫後の選別作業では荷造りの基準がとても厳しく、摘み取られた大量のイチゴは大きさにより4LからSまで7段階、さらに形により秀・優・良という何段階もの選別が行なわれています。これも長野県産イチゴが国内トップの品質を維持するためで、この選別作業にも多くの労力が費やされているのでした。
いくつもの夏秋イチゴのハウスをお持ちだというので、とりあえず北澤さんにお別れを告げ、斜面を少し下った別のハウスの中でイチゴを見ていると、しばらくして北沢さんが軽トラでやってきました。そして雨上がりの『ちょっと暑くなってきた』と感じたハウスの窓を開けはじめるのでした。
夏秋イチゴの栽培は、まるで赤ちゃんの面倒をみるような手をかけた気の使いようです。たしかに言葉を発しない作物などはみなそうではありますが、ハウス内の気温が上昇してきたと感じればハウスの窓を開けて通気性を良くし、また陽が照り過ぎていると感じれば、遮光シートをハウス内の上部に覆い被せて温度を下げるよう調節するなど、北澤さんは1日に何度もハウスの周りを車で駆け巡り、こまめに情況を察知して対処します。
「でも手間をかけただけいいものが出来て応えてくれる。イチゴは正直だよ」
そう目を細めて北澤さんは満足そうでした。
信州育ちのサマープリンセス
現在長野県の夏秋イチゴのシェアは全国3位。北海道、青森に次ぐ生産地となっていますが、長野県のこのサマープリンセスの品質の良さは関東、関西などの市場からも評価が高く、多くの需要がある程で、見た目、味などどれをとっても長野県産のイチゴはすばらしいと言われ続けるため、この品質の高さを維持して全国に誇れる夏秋イチゴの産地でありたいと、県をはじめJAではほ場での巡回指導や農家を集めての出荷基準を確認するなど、今夏秋イチゴに携わる人々が一丸となって取り組んでいるところです。
ほぼ全てが市場出荷で関東や関西、中京方面へと出荷されるサマープリンセス。お近くのスーパーなどで「サマープリンセス」と書かれたイチゴを見つけたならば、少し目を閉じ、信州の爽やかなそよ風をうけてスクスクと生長した高原のイチゴを想ってください。あなたが今日買った美味しいケーキにイチゴが入っていたなら、それはもしかしたら信州育ちのイチゴかもしれません。これから暑い季節となってもまだまだイチゴの旬は続きます。