長野市南部、犀川と千曲川が形作った肥沃な沖積土壌は、長野県内最大の桃栽培地帯です。2019年の台風19号災害では、河川敷に植えられた桃の木自体が流されるなど大きな被害を受けました。
それから3年。今年は天候に恵まれ、これまでのところ出来は上々。新たに植えた苗木が実を結び始め、産地復活への機運が盛り上がっています。
昨年度の日本農業賞長野県代表にも選ばれたJAグリーン長野もも部会を訪ねました。
たわわに実った「川中島白桃」
例年は盆明けに出荷が始まる(JAグリーン長野提供)
台風災害、離農防止に全力
同JA営農部によれば、桃の生産量自体は農家の高齢化で以前から漸減傾向でした。そこを襲ったのが台風19号による壊滅的な洪水被害でした。JAは農家の生産意欲の低下を特に心配したそうです。
被害直後から、もも部会員や若手生産者でつくる青壮年部員などの生産者有志、多くのボランティアの協力で、漂流物や木についた土やごみを除去。園地の荒廃を防ぐ一方、再起に向けて新しい苗木の確保に奔走しました。
例年なら苗木の発注は終わっている時期でしたが、業者と交渉し、被害が明らかになるのに合わせて注文の調整を続け、翌3月までかけて18ha分、1800本の苗木を確保しました。
翌20年は台風の雨と風に見舞われた園地に桃の大敵「モモせん孔細菌病」が広まり、防除に追われました。さらに昨年(21年)は凍霜害被害、そして盆の大雨による落果……。
桃農家にとって非常に厳しい状況でしたが、もも部会はJAや行政の支援を取り付けながら、産地の復旧へと歩みを進めています。
光センサーで選別
桃は収穫適期が狭く、その時期を見極めるのが難しいデリケートな果実です。
「収穫が1、2日遅れるだけで、実が柔らかくなって売り物にならなくなってしまいます。逆に早ければ糖度が低く固いわけで……」と営農指導課主任調査役の松坂賢一さんは言います。
「収穫前に雨が降っただけで糖度が下がり、味が落ちるなど、収穫間際まで気を使い続けるデリケートな品目です」
品質のばらつきをなくすため、管内4つの共選所すべてに光センサーによる選果機を導入。実の半分に光を透過させて糖度を測り、平均値を出す仕組みです。
同JAは、糖度13度以上で外観に優れた桃を品種にかかわらず「輝々(キラキラ)桃」とブランド化し、主に贈答用に販売しています。
発祥の地を守る
そのうえで同JAは「川中島白桃」「川中島白鳳(はくほう)」「黄金桃」といった人気品種の発祥地という強みを持っています。
いずれも管内、川中島地区で桃栽培に取り組んでいた故・池田正元(まさよし)さんが昭和30年代後半から40年代にかけて次々に見出した品種です。
特に川中島白桃は大玉で見栄えがよく「桃の王様」として評判を呼び、桃産地として川中島が知れわたる礎となりました。
同地区で栽培が広まった背景には「地域を支える存在になってほしい」と池田さんが無償で苗木を分けたことが挙げられます。
川中島白桃は当初「池田1号」「池田白桃」などと呼ばれていましたが、全国ブランドに育てようと、発祥地を冠して1977年に改めて命名し直した経緯があります。
今年はそれから45周年。「発祥地として桃の栽培を守っていきたい」(もも部会長・田中慶太さん)という心意気を後押ししています。
産地の財産に磨きをかけて
JAグリーン長野もも部会長を務める田中慶太さんに自身の経験を踏まえ、産地を支える自負を聞きました。
私は横浜でサラリーマンをしていましたが、母の介護もあって20年ほど前に帰郷し、就農しました。
桃で果たして食べていけるのか―。最大の懸念でしたが、幸い地域に熱心な桃農家がいて、教えを請いつつ工夫を重ねた結果、おいしい桃作りに手応えを感じられるようになりました。
20aから始まった桃栽培は、高齢で手入れができなくなった畑を任されるなど70aまで拡大しましたが、それ以上に周りの荒廃地は増えています。何とか工夫してさらに栽培面積を増やせないかと思案しています。
周りを見るとブドウは生産量が伸び、農家にも活気が感じられます。もも部会も力をもらって県内最大の産地を守り、さらにパワーアップしたいと思います。
販売面は順調で、贈答用など7月中に枠が埋まってしまうほど。あえて難点を言えば、看板の川中島白桃の出荷が、他産地と比べて遅く、盆明けとなり、帰省した家族や親戚との団欒(だんらん)に間に合わないことでしょうか。
川中島白桃は暑い夏を越える分、最後まで樹上で養分を蓄えるため、味もしっかり乗っています。店頭で見かけたら、ご自身や大切な方へのプレゼントとしておすすめです。
もも部会が手塩にかけた「地元の誇り」をぜひ、味わってください。
風雨や病害虫から実を守るために掛けた袋を点検する田中さん
出荷の10日から2週間ほど前になると外して日に当て、色づきをよくする