今から5年前の2019年に長野県で新しい酒造好適米(以下「酒米」)の品種「山恵錦(さんけいにしき)」が誕生しました。この酒米の本格栽培にいち早く着手した上田市の米農家の取り組みに、同じ上田市で酒造りを営む5つの蔵※が敏感に反応し、協力し合って地域性のある極上の日本酒造りへの挑戦が始まりました。
※その後、酒蔵が増え、現在は6蔵での取り組みとなっています。
「天空の山恵錦」を栽培する
「酒米は水田の水が冷たいほうがいい」と、上田市・武石(たけし)地区で酒米を中心に栽培する米農家の柿嶌洋一さんは話し始めました。この地域は日本一の大河・信濃川の源流域のひとつで、緩やかな斜面に水田が広がり、高いところは、じつに標高900mを超えるといいます。これほど高所にある水田は珍しく、標高が高いだけに水は清冽で、酒米づくりには絶好の環境だというのが柿嶌さんの意見です。
山恵錦の試験栽培の段階から農業試験場に協力する形で取り組んできた柿嶌さんですが、品質にとことんこだわって試行錯誤をくり返した結果、この地域でもっとも高所での栽培にたどり着きました。柿島さんは、山恵錦をとりわけ標高の高いところで実力が出せる酒米と評価し、これを「天空の山恵錦」と呼びたいといいます。
柿嶌さんが山恵錦を提供しているのは、今のところ上田市内の6つの酒蔵だけです。「自分が作った米を望んで指名してくれる人がいることが、米づくりのモチベーション」と言い、考えが明確で迷いがありません。そして、この新しい酒米の品質を毎年少しでも向上させていこうという気概にあふれていました。
地元の米を使ってこそ。その酒は「着実に旨くなっている」
単にうまい酒を造るということならば、たとえ遠方からでも望みの米を取り寄せて仕込めばよいでしょう。ワインにおけるブドウとちがい、米は日持ちがして長距離輸送も問題ないからです。コンクールでトップを狙う場合は、そのような考え方に基いており、それはそれでひとつの手法です。
ところが、上田市の旧北国街道沿いで江戸時代初頭より酒造りを続けている岡崎酒造の岡崎謙一社長は、それとはまったくちがう考えを示してくれました。
「遠方から米を取り寄せて酒造りをして、それで地元の農家が衰退するならば、自分たちの存在意義はどこにあるのかわからなくなります」と岡崎社長は話します。
「そもそも、地元の原料にこだわらなければ同じような酒ばかりになってしまい、地域の個性は失われてしまう」。その言葉には説得力があります。
しかし地元の米を使っても、味が〝そこそこ〟で良いわけがありません。上田市内の蔵が足並みをそろえて山恵錦による酒造りを始めた大きな理由はこの点にありました。通常、日本酒の造りはそれぞれの蔵の流儀で行われ、造りについての細かい情報交換をすることはありません。
しかし、山恵錦という新しい酒米でどこまでの酒が造れるのか、各蔵がデータを含めた情報交換をしながら高みを目指すことで、早く正解にたどり着けるという大きなメリットがあります。
岡崎社長によると、山恵錦を使った酒は「年々着実にうまくなってきている」とのことでした。それは前述した生産者の努力に、上田市の酒蔵の努力がかけ合わされた結果といって間違いはないでしょう。
長野県の酒米で造られた日本酒の可能性
上田市真田町にある「地酒屋 宮島」は、長野県産以外の酒は1本も並べておらず、長野県産の銘柄のほとんどを手に入れることができるという(一部品切れ銘柄を除く)、極めて特徴のある酒販店です。
この店を経営する宮島国彦代表は「栽培する自然条件、山恵錦が誕生するまでの過程を考えると、トップを狙える素質のある酒米といえるかもしれない」と期待を込めて話します。
前出の岡崎社長でも「最初は難しい米だと思った」という山恵錦は、造り手の評価もまだ完全に定まってはいません。しかし、みなさんの話しをつなぎ合わせていくと、この向こうに期待してもよい確かな何かがある、という手応えを感じます。
地元の米を使うといっても、その地域に良い米を生み出す自然環境が整っていなければ望みどおりの酒造りはできません。しかしその点、長野県は恵まれた土地であるといえるでしょう。
近年の地球温暖化は日本の米づくりに少なからぬ影響を及ぼしており、とりわけ昨年(2023年)は米どころと知られた日本各地の産地が、その品質を維持するのに、例年になく苦慮する年となりました。
そんななか長野県の米は、うるち玄米の1等米比率が日本一となるなど温暖化の影響をあまり受けることなく、いつもどおり高い品質を維持しています。
耕作地の標高が高い長野県は気温も水温も冷涼で、酒米も含めた米の安定した品質は、この内陸特有の気候と無関係ではないといわれています。そんな恵まれた栽培環境を背景に、おいしい日本酒造りへの酒蔵の挑戦は、これからも続いていきます。