前回、この1月下旬に開かれた「信州フラワーショー・ウィンターセレクション」の話題を取り上げました。信州の花の魅力を生産現場ならではの視点でお届けするレポート第2弾の今回は、「花産地長野」誕生秘話に迫ります。
今年2014年の「信州フラワーショー・ウィンターセレクション」品評会で、最高賞の農林水産大臣賞を受賞した栁澤源太郎さん(茅野市)のアルストロメリアはご覧いただけましたか。 今回を含め、同フラワーショーでは最高賞にアルストロメリアが選ばれることが多くなっています。この点について主催者のJA全農長野は「冬の品評会ではアルストロメリアの出品が圧倒的に多いから」とのこと。納得です。 では、ここまで話したのですから、過去5年間のグランプリ・アルストロメリアを紹介しましょう。それぞれの違いが分かりますか。ちなみに私にはよくわかりません・・・。
2011年「アルストロメリア・ピンクサプライズ」出品者:春日清一さん(JA上伊那)
2012年「アルストロメリア・ヒラド」出品者:古畑為雪さん(JA上伊那)
2013年「アルストロメリア・チェリッシュ」出品者:永井智さん(JA上伊那)
2014年「アルストロメリア・ピンクサプライズ」出品者:酒井弘道さん(JA上伊那)
2015年「アルストロメリア・サンマリノ」出品者:栁澤源太郎さん(JA信州諏訪)
話は変わりますが、なぜ長野県が全国的な花の産地になったのか、それを知るために塩尻市にある長野県野菜花き試験場を訪ねました。同試験場の近くにはワイン産地として知られる桔梗ケ原があります。それもそのはず、同試験場と合併した「長野県中信農業試験場」は、その昔「長野県農事試験場桔梗ケ原試験地」と呼ばれ、戦前戦後、県内のブドウ栽培にも指導的役割を果たし、桔梗ケ原がワイン産地になるきっかけの一つになりました。
長野県野菜花き試験場(塩尻市)
中島由郎花き部長
お話をうかがったのは同試験場・花き部長の中島由郎さんです。
-長野県が花産地になった理由は。
「一つのきっかけは昭和5(1930)年ごろの世界恐慌(※1)です。それまで長野県の中核産業だった養蚕が壊滅的打撃を受け、それに代わる農業品目を見つけられるかどうかは死活問題でした。農家が目を付けたものの一つが花です。当時でも大都市の富裕層を中心に需要がありましたから」
-でも当時は露地栽培ですよね。栽培環境的にはどうだったのですか。
「当時はキク、ユリ、リンドウなどの露地栽培が中心でしたが、花にとって、冷涼、乾燥、とりわけ雨が少なく日照時間が長いという長野県の気象条件は、病気になる割合が低い等、花の栽培にとっては適していたのです。ただ、間もなく戦時下となり、食料増産態勢のもと、花栽培は厳しい時代を迎えました」 「長野県が明確に花産地となったのは戦後です。1950年ごろからカーネーション、バラなど洋花の栽培が県内各地で始まり、日本人の生活の洋風化や高度成長と相まって飛躍的に生産が伸びました。東京や中京・関西に近いこともプラスでした。高速道により、鉄道からトラックに変わった輸送体制強化も後押ししました」
-生産者の努力もあったのでしょうね。
「実は、それこそが大産地化の大きな要因の一つだったと思います。新しいものを積極的に取り入れる県民性に加え、地域ごとに生産者が協力し合う態勢、研究熱心さといったことも特徴ですね。品種改良だけでなく、湿式輸送(※2)や保冷輸送の導入など、販売面を含めた改善にも積極的です」
なるほど。今や長野県はアルストロメリア、ダリア、アネモネ、カーネーション、トルコギキョウなど全国トップクラスの生産地。地の利、時の利に加え生産者の努力と連帯、研究熱心さがそれを支えているのですね。
※1:1929年、アメリカに端を発した恐慌。30~31年にかけ日本経済を危機的状況に追い込んだ。 ※2:輸送中に給水しながら輸送する輸送形態。ダンボールを立てた状態でビニル袋や専用の容器に鮮度保持剤を溶かした水を給水する形態が主流。一方で再利用できる出荷容器=ELFバケットなどによる輸送システムを導入している産地もある。ELFバケットは産地がレンタルし、卸売会社で回収、レンタル業者が洗浄し再利用する。専用の台車やトラックが必要。
こちらは 2015.03.03 の記事です。農畜産物や店舗・施設の状況は変わることもございますので、あらかじめご了承ください。
昭和人
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