木の葉に包まれるように眠る緑色の繭。この繭から採れる糸、天蚕糸(てんさんし)は、白い絹糸よりもしなやかでしわになりにくく「繊維のダイヤモンド」「繊維の女王」などと呼ばれ、時に70倍(!)の値がつくとも言われる高級糸です。
信州安曇野の穂高有明地区では、200年以上前からその天蚕糸を作り続けてきました。今回は今もなおその伝統を守ろうと天然の蚕「天蚕」を飼育し、天蚕糸を生産している安曇野市天蚕振興会におじゃましてその魅力を探ってきました!!
桑ではなくクヌギで育つ不思議
「天蚕は手がかかるんだよ。でも優れた伝統文化として残して行かないとね」と話すのは、天蚕振興会副会長の齋藤精一さん。振興会の飼育部長でもある齋藤さんの飼育場に今回"特別に"案内していただきました。天蚕は病気に弱く、かかると全滅の恐れもあるため、普段は飼育する人間以外を極力入れないように気を配る必要があります。今回はほとんど繭を採り終えていたタイミングであったため、許可をいただくことができました。消毒済みの長靴に履き替えて、天蚕のいる飼育場のハウスの中に入ります。
ハウスの中には、木がたくさん植えられています。「天蚕は家蚕(白い絹を作る、いわゆる蚕)と違って野生の虫なので、幼虫は好物のクヌギの木で育てるんですよ。さて、どこにいるか分かるかな?」と齋藤さんが一本のクヌギの木を指差します。むむー、どこにいるのでしょうか...。
あ、いましたいました!!(意外と分かりやすかったかも?)それにしても、で、でかい!!
クヌギの葉っぱと同じ、奇麗な緑色の生物を発見しました。これが天蚕の幼虫です。枝から反って休んでいる子もいれば、むしゃむしゃと一心不乱にクヌギの葉っぱを食べ続けている子もいます。
天蚕は家蚕よりたくさんの手間をかけて守られる
「この子たちはもうすぐ繭を作り始めると思いますよ。今年は病気が出なくてよかった」と齋藤さんはほっとした様子。聞けば天蚕の飼育は、本当に手間がかかる作業なのだそうです。 まず、天蚕が住む木を管理しないといけません。クヌギが大好物ですが、木が大きく育ってしまうと繭を採るのが大変です。人の背丈よりも低くなるよう冬場に剪定したり、太くなった枝を払って若芽を育てる必要があります。
草刈りや肥料やりなど、土壌の管理も大切です。また、天蚕の幼虫にとって蟻は大敵。いくらネットで鳥や猿に食べられるのを防いでも、地面から上がってくる蟻からは逃げられません。そのため飼育場内の蟻の巣は全て駆除してあるとのことです。
さらに天蚕の持つある習性も手間を増やしている原因のようです。天蚕の幼虫は大きくなるとなぜか木を降りて地面へ向かいたがるため、様々な被害にあって死んでしまうことがあるのです(この日もちょうど地面へ向かって降りている幼虫がいました)。害虫に食べられたり日光で熱せられた地面でやけどしてしまわないように、地面に降りた幼虫を葉っぱに戻すための見回りも欠かせません。
いやはや、野生の蛾なんだから放っておけば繭を作るのではと思っていましたが、大間違い。室内で桑の葉っぱを与えて飼育する蚕よりもずっと手間がかかるんですね。
ここで天蚕の基礎知識をお伝えしましょう。
天蚕は、正確には"ヤママユガ"という蛾の仲間です。一般的な蚕は家蚕(かさん)と呼ばる絹を採るために改良された虫なのに対して、野生である天蚕は野蚕(やさん)と呼ばれます。天蚕の幼虫は孵化してから4回脱皮をし、繭を作りサナギとなり、成虫になります。羽を広げると10〜20cmにもなる黄色(茶色)の大きな蛾に成長するんです。
蝶かごという竹で出来た籠に成虫のつがいを入れ、産卵させます。その後越冬した卵を和紙にのり付けしたものを飼育場のクヌギに取り付けます。これは山付けと呼ばれています。 卵は5月頃孵化すると4回の脱皮を経た後、7月前半に繭を作ります。それを収穫し、繰糸用と成虫に育てて産卵させる繭に分けた後、繰糸用の繭は全て手作業で繰糸されます。1つの繭から1,400mほどの繊維が採れる家蚕と違い、天蚕糸は半分の6〜700mしか採れない貴重な繊維。現代の技術では機械でも繰糸できるそうですが、有明地区では昔の伝統文化を守るため全て手作業で行われます。なんと反物を織るのも手作業とのことで驚かされます。
美しい薄緑色の糸と織物
続いてやってきたのは安曇野市穂高有明地区にある、安曇野市天蚕センター。ここでは江戸時代に始められ、200年以上の歴史を持つ有明地区の天蚕飼育、天蚕の織物を紹介・展示しています。天蚕の糸だけで織られた美しい薄緑の着物(参考価格550万円!!)も見ることが出来ます。
そして、手織り機による機織りも行われています!今では本当に珍しくなってしまった光景ですが、振興会では全て手織り機で反物を織って京都等の呉服店へ販売したり、センターで販売しているのです。手織りでないと強伸力に優れ弾力のある天蚕糸を織ることが出来ないとのことでした。こういった職人技で作られているため、穂高の天蚕糸は高い評価を得ているのですね。
この日センターでは収穫された繭の選別や、繰糸用の繭の表面にある生糸に繰ることが出来ない繊維を除く作業が行われていました。
生糸に繰ることが出来ない繊維とは言っても、昔から有明地区では無駄にはせず自分たちの衣類用に紡いで使っていました。天蚕センターでも、紬糸は製品に利用されているんです。
丁度その作業を行っていた、振興会の事務局を務める梅崎一実さんにお話を伺いました。天蚕飼育を始めて今年で3年目ということですが、天蚕に魅せられて大阪から安曇野へはるばる引っ越してきたのだそうです。「とにかく幼虫がかわいくて...糸もキレイですしね」と天蚕の魅力を語る梅崎さん。美しさに魅せられて着物を購入するだけでなく、引っ越して飼育までさせてしまうという天蚕の力に、ただただ驚くばかりです。
「伝統的な天蚕飼育や天蚕糸の生産は本当に手間がかかるけど、昔から続いてきた素晴らしい伝統文化を絶やしたくないですね。振興会みんなでがんばっていきたいです。まずは、穂高には素晴らしい天蚕の文化があるということを多くの人に知ってもらいたいですね。」と齋藤さんは話してくれました。
昔ながらの穂高天蚕糸の文化を伝えていこうと、地元の穂高北小学校の3、4年生が毎年校内で天蚕の飼育を行っています。地域ぐるみで伝統文化を絶やさない土台作りをしているのですね。
信州安曇野は観光地として有名ですが、天蚕についてはあまり知られていないかもしれません。安曇野にお越しの際は、穂高天蚕糸を思い出してくださいね。紹介した天蚕センターは八面大王足湯などに近く入場も無料ですので、観光の合間に立ち寄るのにおすすめの施設ですよ。
【リンク】
■安曇野市天蚕振興会ウェブサイト
■安曇野市ウェブサイト 穂高天蚕ページ
■安曇野市ウェブサイト 買い物案内ページ
■「信州とっておき情報」内 天蚕センターページ