「ここまでそば畑が増えたで、私は満足だね」と思わず目を細めるのは「戸隠そば再興大作戦会議」の代表・山口庄一(やまぐちしょういち)さん(72)。生まれ育った故郷の風景が戻りつつある姿に胸を張りました。
信州戸隠と言えば「そば」という答えが返ってくるほど、全国的にも名前が知られる戸隠のそば。その「戸隠そば」を昔ながらの味わいに戻したいと、戸隠の在来種のそばにこだわって栽培する農家の有志グループが「戸隠そば再興大作戦会議」です。
活動をはじめて今年で4年目。2006年の発足から3年かけて6種類の在来種を試験栽培してようやく適種をひとつに絞り、今年から本格的に種を増やして栽培に入りました。ところが9月4日の降雹(ひょう)で害を受け、一部の畑は壊滅状態となってしまったのです。しかし、それでもそばが順調に生育している畑もあり、来たる11月6日には「戸隠新そば祭り」の古式豊かな「蕎麦献納祭」で、在来種の戸隠そばも戸隠神社の神さまに奉納され、限定ではあるものの来客に振る舞われる予定だとか。
戸隠のそばの畑は増えている
青い空と真っ白な花を咲かせるそば畑とのコントラスト。秋の戸隠をドライブしていると、黄金色に実った稲穂や、段々畑のそばの花など、絵に描いたようなふるさとの美しい光景が広がります。
しかし10年ほど前まで、その光景は年々減少し、地域の高齢化とともに、さかんだったタバコ畑も荒廃が進んでいました。ちょうどそのころ、長年務めた郵便局を定年退職し、農業をはじめていた山口さんは、地元のそば屋で、京都から30年ぶりに訪れた観光客から「昔の戸隠そばの味と違いますね」という、衝撃的な言葉を耳にしたのです。
戸隠ならではのそばがある
「そう言われて初めて、戸隠そばの味がなくなっていることや、地元産のそば粉を使っている店がほとんどないことが分かって、これじゃダメだと思ってね」と、以後山口さんは、在来種にこだわった、戸隠ならではのそばの栽培をはじめました。
発足当初は有志6人。地元のそば店の賛同もあって、翌年には栽培農家は倍以上の13人に増え、今年は夏そば、秋そばを合わせて約37haの畑で栽培されています。
「そばは交雑しやすいため、在来種を守るのが難しい」と山口さん。幸いにも戸隠は、山間の集落が多いため、在来種の種が6種類ほどかろうじて残されていました。3年かけて試作を繰り返したなかから、収量が見込めて、昔ながらの味を持った平出地区の在来種の栽培をきめ、この夏から本格的な栽培もはじまったのです。
独特の苦みと甘みをあわせもつ
県内で主に栽培されているそばの品種「しなの1号」(写真右)は粒が黒くて大きく、あまり特徴のないそばの風味であるのに対して、在来種(写真左)は粒が茶色で小さく、山口さんの言葉を借りれば「戸隠そばらしい独特の苦みと甘みを併せ持って」います。
ところが、さる9月4日の降雹(ひょう)で、豊岡地区と東原地区のそば畑の多くが害を受けました。種を栽培していた山口さんの畑も被害に遭いました。
「ひょうにやられて折れても、花を咲かせているそばもあってね。それを見ると土を全部耕しでしまうのもかわいそうでね。貴重な在来種だから、しばらく様子を見て、手刈りして1粒でも多く種にしたいと思っていますよ」
すべての店で地元産そばを供する日まで
天岩戸の戸が飛来したという伝説が残る神秘の山、霊峰戸隠山のふもとに広がる戸隠地区。戸隠神社にその年の新そばを捧げる11月6日の「蕎麦献納祭」では、在来種だけで打ったそばも奉納されます。しかし、地区内にある24軒のそば店全店で地元産のそばを供するには「100tくらいは必要でしょう」と山口さん。耕地面積にして現在の3倍以上は必要になる計算です。
今年6月には耕運機で横転して大腿骨を骨折し、2カ月ほど入院とリハビリをしたという山口さん。退院後には、そば畑がひょう害にも遭って「大変な年になった」とは言うものの、在来種のそばへの思い入れはますます強まり、「ここに来れば、どこからでも戸隠産のそば畑が見られるような景色になればうれしいね」と、戸隠の風景と戸隠そばの味わいの再興にもいっそうの力がはいります。
ぼっち盛りという独特の盛りつけ方の戸隠のそば
蕎麦献納祭において限定で振る舞われる予定の在来種のそば。戸隠の土地が生み、戸隠の土地が育む、戸隠しか味わえないそば。機会があれば、独特の苦みと甘みがあるという本物の戸隠そばを、あなたも味わってみてください。そしてその味を二度と忘れないようにしたいものです。
関連するサイト:
・戸隠そばミニ資料館 | 戸隠神社
・戸隠そばのお店案内 戸隠観光協会