満開のタカトオコヒガンザクラを見にいこう

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日本さくらの会「さくら名所百選」に選ばれている高遠城址公園(たかとおじょうしこうえん)のタカトオコヒガンサクラが、ここへきて満開の季節となりました。ご覧のように、その桜の特徴は、やや濃いピンク色。満開の時期には、高遠城址公園の地域一体がピンク色に包まれ、その中に立つだけで心が躍ります。タカトオコヒガンサクラは、県民の誇りとして昭和35年(1960年)に長野県の天然記念物に指定されています。今回は、明治8年(1875)から植えられはじめ、今年樹齢100年を越える老木を含めて、現在では約1500本の樹林と成長した公園へ、ご案内いたします。

中央アルプスを望む絶景
高遠城址公園は、長野県の南部に位置する伊那市高遠町にある名城で、国指定史跡の高遠城周辺を整備した南アルプスの裾野にあります。公園からは、2000mを越す木曽山脈(中央アルプス)が望める絶景が広がっています。

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信濃の国に意味深き城
古くから南信濃と駿河・三河地方進出の拠点として重要な意味を持つ伊那谷に、高遠城はあります。諏訪氏一門の高遠頼継が居城していましたが、戦国時代に甲斐の武田信玄軍が同町と茅野市を結ぶ杖突峠(標高1247m)を越えて来ると降伏。その後、武田信玄が南信濃への進出の拠点とするため、伝説的軍師の山本勘助(やまもとかんすけ)らに命じて大規模の改築した城です。

城の最後の城主は、今週別の記事でお伝えしている県歌「信濃の国」に登場する武田信玄五男である仁科盛信(にしなもりのぶ)で、城は織田信長嫡男である織田信忠(おだのぶただ)に攻め落とされてしまいます。しかし、当時武田軍が劣勢となり裏切る武将が相次ぐ中、最後まで徹底抗戦した盛信の壮絶な戦いは、戦乱の時代が終わってもなお、県民に語り継がれています。

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桜はただ1種類のみの美しさ
明治4年(1871)に廃藩置県となり、翌5年に高遠城の建物は民間に払い下げられましたが、明治8年(1875)旧藩士が河南にある小原地籍にあった桜馬場の桜を最初に植樹され、城址公園として生まれ変わりました。その後、補植は同一種類の桜に限り行い、現在に至っています。

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冒頭でお伝えしたようにタカトオコヒガンザクラは、ソメイヨシノなど他の品種に比べて、少し小さめで色がやや濃いピンクが特徴です。これは、マメザクラとエドヒガンザクラの交配種の一種と言われ、小振りの花弁はマメザクラの特徴を、ガクトウが膨らんでいるところはエドヒガンの特徴を、それぞれ引き継いでいるとされ、平成2年(1990年)4月20日に行なわれた「国際さくらシンポジウム」で、他に類をみない高遠唯一の貴重な桜であることが認められました。また、樹の高さもソメイヨシノなどよりも高く成長するのも魅力の1つで、樹一本一本に迫力があり、歴史を感じます。

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今、ここ、この地にしか咲かない
高遠町観光協会の話しによれば、見ごろは今週いっぱい。すでに南の日がよく当たるところでは若葉も出始めているとのことです。アクセスは、中央自動車道伊那ICから車で30分程、又諏訪ICからは車で1時間程。この季節、城趾を埋め尽くす、この地にしか咲かない桜を、ご覧になるのはいかがでしょうか。

あわせて見たい:

高遠さくら祭り 2009

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