信州人蔘(しんしゅうにんじん)の収穫が最盛期を迎えています。と言っても、この「人蔘」は、普段食卓に並ぶオレンジ色の根菜"ニンジン"ではありません。「朝鮮人蔘」とか「高麗人蔘」と呼ばれている、薬用人蔘のことです。英語では「ジンセン(ginseng)」と呼ばれます。
知っている人は知っているのですが信州は薬用人蔘の名産地。日本に3箇所しかない生産地のひとつです。しかし、その生産の難しさから年々生産者が減少し、今や20人を数えるほどになっています。後継者づくりが悩みです。そんななか、全く違う世界から信州人蔘作りに飛び込んだ若者がいると聞き、会いに出かけました。
長野県東部に位置する東御市(とうみし)。ここに信州人蔘の生産技術を受け継ぐ、若き農業者がいました。小林寿光(としひこ)さん(37歳)。6年前に信州人蔘の世界に飛び込んだ小林さんですが、家族が信州人蔘を生産していたわけではないそうです。ではなぜ信州人蔘の農家になろうと決心したのでしょうか。
弟子入りをして学ぶしかない
昔は沢山いたという信州人蔘の生産者も、時代と共に減少し、今や20人ちょっとしかいないのが現状です。この現実を憂慮した信州人蔘の生産組合が後継者を育てたがっていると風の便りに耳にした小林さん。話を聞いてみたところ興味が湧いて、やってみようと決心したと言います。「その時は正直"勢い"ではじめてしまった面もあります」と当時を思い出して苦笑い。
信州人蔘の生産には、農業機械をほとんど使いません。小林さんは道具や日よけの材料などのほとんどを、生産をやめてしまう農家から譲り受けたそうで、初期投資はそんなに負担にならなかったといいます。逆に機械を使わない分、人間の手作業が多く、だからこそ独学での生産は大変難しいものがあるのです。
ハード面は比較的楽に整備できた小林さんも、技術が無ければ手も足も出ません。そこで、まずは長野県で一番いい信州人蔘を作ると評判の農家に弟子入りしました。地域の生産者が「弟子入りするなら青井さんとこしかない!」と口を揃えるその農家こそ、青井千恵さんと旦那さんでした。
「本当にいい出会いでした。青井さんを紹介してもらったからこそ、今なんとか生産できていると思います。なにからなにまで教えてもらいました。最高の師匠ですよ」と話す小林さんの目は本当に真っすぐで、青井さんへの感謝、絆の深さが感じられました。青井さんも、小林さんのように次の世代を担う熱心な若者がいてくれて本当に嬉しい、希望が持てると話してくれました。
種をまいて収穫まで5年か6年
信州人蔘は、まず秋に種をまき、2年間育てます。2年目の秋、育ったものを全て掘り起こして、そのうち5%ほどの育ちのいいものを選び、植え替えをします。ここで出来るだけ自然に生えた状態で植え替えてやることが、立派な信州人蔘を育てるコツだといいます。
実はそれがなかなか難しいと小林さん。ちなみに間引かれた2年ものの信州人蔘はまだ苦みが弱いため、天ぷら用として出荷されます。そしてこの天ぷら用が近年人気上昇中なのだとのこと。手軽に食べられるのが人気の理由でしょうか。今年のものは、10月末頃に出荷されます。
さて、植え替えてから3年、種まきから5年経ったものは、出荷可能になりますが、ここでひとつ難しい判断の分かれ目がきます。5年ものとして出荷するか、もう1年育てて6年ものとして出荷するかの判断をしなくてはなりません。
順調に育てば6年ものの方が当然いい等級で出荷できるのですが、1年のうちに病気で消滅してしまうこともありうるのです。葉っぱの状態などを見て、1年育てるかどうか判断するのですが、間違えたら6年の苦労が水の泡となってしまいます。
人参に時間を捧げる生き方
今回取材に伺ったのは青井さんの畑。小林さんは青井さんの収穫のお手伝いに来ていたのです。日よけの下、腰を屈めながら信州人蔘を掘り進める小林さん。この収穫作業が最も大変なのです。
はじめた1年目は、5メートルも掘れば息が上がるほどでしたと言いますが、今は私と話ながらどんどん掘り進めていきます。いやあ、どんどん立派な信州人蔘が出てきますねぇなどと感心して写真を撮っていると、「こんなに立派なのがぼこぼこ出てくるのは、青井さんの畑だけですよ。すごいですよ。」と小林さんが言いました。聞けば、他の畑ではもっと細かったり、病気にかかり土の中で消滅してしまうものも多いとのこと。
5、6年の間、土の中で育てる信州人蔘は、病気などにかかる確率も単純に5、6倍なのでしょうか、とにかくその間の時間をかけて、大事に大事に育てる必要があるのです。最高の技術を持つ青井さんと同じ方法で生産しているという小林さんでも、こうは行かないと頭をひねります。
同じようにやってるようで、微妙に違うんでしょうね。その技術の差は、徐々に体で学んでいくものなのでしょう。「うまく行かないこともありますが、自分の技術と人蔘の出来が直結するのが面白い。今はこのやりがいのある人蔘づくりにハマっています」
小林さんのように信州人蔘生産を新しくはじめる人は、今はほとんどいません。興味を持って聞きにくる人もいるようですが、新規参入に結びつくことは滅多に無いとのことです。生産者の技術と時間が重要な要素となる信州人蔘づくりでは、小林さんが青井さんに師事したように、マンツーマンで教えてくれるベテランの存在が不可欠です。
そのため、どこか別の場所で新しく生産を始めたいという話があっても推奨できないといいます。小林さんも、「本当にやりがいはあるが、根気がいる仕事。根気だけじゃなくて周りのサポートも大切です。私は運よく青井さんに出会えましたが、ツテが無い人には正直厳しいと思います」と話してくれました。とは言っても、生産者が急速に減少していっている現実は心配です。小林さんのように、技術を継承していく器となる、やる気のある若手農業者を育てていくのが、これからの課題でしょう。
青井さんや小林さんがつくった信州人蔘は、主に漢方薬の原料として出荷されますが、JA佐久浅間信州人蔘センターのウェブサイトから各種加工品を購入することが出来ます。10月から11月には人気の天ぷら用も購入できますので、チェックしてみてください。