浦部さんの農事録
[浦部さんの農事録]

新連載 新しく農家になったふたりの農事録

年あけましておめでとうございます。長野に移り住んで3回目のお正月を迎えました。初めまして。北安曇郡松川村の浦部と申します。

色々なご縁があって、こうしてみなさんに私たちの話をお届けできることに感謝しています。これから1年間、わたしたちの米作りや、新規就農のこと、地元の行事、風習などの様子を、感じたままに綴ってみたいと思っています。みなさんに楽しんでいただけるよう、自分自身も楽みながら、お伝えしていきますので、よろしくお願いします。

わたしたちはいわゆる脱サラ組(主人は自動車部品製造業、わたしは配管設備工事会社事務)です。神奈川県から移住して、現在は大規模水稲農家を目指しています(これも、ご縁で・・・)。

urabefarm01.jpgそのため、1・2月の農作業はほとんどありません。スポーツ選手で言えばOFFに当たります・・・と言っても収入の少ないわたしたちには海外旅行や温泉に行ったりする余裕はないので、アルバイト三昧のOFFシーズンです。

こで今回は、どうしてわたしたちが長野県で農業をやることになったのかについて、自己紹介を含めてお話したいと思います。

話は過去にさかのぼりまして・・・今から約12年前の夏・・・わたしと主人はオートバイのツーリングで長野県松本市三城牧場の、ある山荘にやって来ました。

その山荘はたまたま本で見た『自家製野菜!』という文字につられて予約した宿でした。到着してみると、まずその雰囲気に感激し、さらに迎えてくれた女将さんに一目惚れして、一瞬のうちに2人ともその山荘のファンになってしまいました。

もちろん、料理も山菜・きのこ・自家製野菜・お米・みそ・果実酒・・・と最高のものばかりでした。その年は、秋の連休にも再訪してしまったくらいで、これ以降毎年夏休みの長野ツーリングはわたしたちの定番になりました。

実は、この山荘の女将さんこそが、現在の里親制度の研修先のお母さんなのです。今思えば、私たちの長野移住はこの時すでに決まっていたのでは、と感じています。

「長野に住みたい」と本気で思うようになるまでには、じつに色々な事がありました。岩手の親戚が経営する民宿を手伝わないか、ともちかけられたこともあったのですが、実現はしませんでした。くだんの山荘に通いはじめてから7年くらい経った頃から、わたしたちは東京で開催するIターンフェアーや農業人フェアーに足を運ぶようになりました。

ところが主人には「ピン!」とくるものが無いらしく、なかなか具体化しない日々が続きます。そんなある日のフェアーのこと、長野県のブースに里親研修制度のポスターが貼られていたのです。「ピン!」と来た主人とわたしは、それを見てすぐに相談を開始。その年の夏に山荘の女将さんにも相談したところ、なんと「一緒にやりましょうよ」と言ってくださったのです。その後はトントン拍子で話が進み、主人も2月に仕事を辞め、山荘のご主人と女将さんに里親さんになっていただきました。

urabefarm02.jpgこのように私たちの新規就農長野県移住計画は、人と人のご縁無しでは語れないもので、その最初の縁は12年前の里親さんとの出会いだったのです。今回は、里親さんとの出会いから長野県に就農を考えるまでのお話をしました。

2月も農作業が無いので、どんな人とのご縁があって、長野生活をスタートさせたかを引き続きお話したいと思います。

後に、おまけでちょっと地元の行事のお話を。今月は「三九郎」という行事がありました(神奈川に居た時はどんど焼きと言っていました)。三九郎は小正月に正月飾り、破魔矢、だるまなどを持ち寄って焼き、繭玉と言う三色のだんごを枝先に付けて焼いて食べて無病息災を願うものです。

 

この記事を書いた人

長野県北安曇郡松川村の浦部勇一・千代美さんご夫妻に月々の農事などを伝えていただいています。浦部勇一さんは2005年から長野県が行う里親支援制度に登録後、独立された新規就農者。おふたりは6年ほど前に神奈川県から長野県に移住してこられました。

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