「地球が心配」
この「地球が心配」という感覚ですが、以前からありましたけれど、農業を初めてから少し変わりましたね。
以前は、地球の未来はどうなっちゃうんかなあ。的な感覚でございましたけれど、今はもっと身近な問題。
ブドウの栽培適地が北上して、いまや「山梨県よりも長野県の方がいい」という声が多くなってきました。(怒られる?)
味だけでなく、昔は作れなかった場所でどんどんとワイナリーが開業している事実がそれを物語っております。
ではりんごは?
栽培適地である安曇野ですが、正直長野県はりんご栽培の南限に近く、少しでも平均気温が上がればちょっとやばいかも。。。という話は良く耳にします。
ま、そうなったら桃でもやりましょうかね。
前も話したかもしれませんが、先人たちは作物にこだわるのではなく、自分の持っている土地からどうお金を生み出すかを真剣に考えて農業を営んできました。
その結果、このあたりの地域では、桑という時代があり、ぶどうやメロン、いちごという時代があり、今はりんごが多く作られている。
ただそれだけのことでございます。
どうしても俺のような新参者は「りんごを作る!」と、自分の知っている世界だけにこだわってしまいがちでございますが、先人たちはもっとフレキシブルかつ真剣に、作物や経営、自然に向き合ってきたのだと思っています。
時代は常に変化しています。
昔のように農産物が売れなくなり、生産者も少なくなってきて、農業にもさまざまな生き残りスタイルが出てきております。
個人単位でも、地域単位でも、どうやって経営を続けていくか、模索中でございます。
そんな中、今までと違ったことをしようとすると、当たり前ですが難しい。内的外的両方の壁にぶつかります。
よく「先人たちが築いたものを守るべきだ」と言われて、変わる姿勢をあまり認めてもらえないことがございます。
詳しくは書きませんが、先日もそんなことがありまして、モヤモヤいたしました。
なんだかずっと心にひっかかっておりまして、毎日考えていたのでございますが、モヤモヤする理由がなんとなくわかってきた気がします。
「先人たち」と「守る」の2つのキーワードが、俺の中で噛み合わないのでございます。
先人たちって、先にも書いたように今の農業者よりももっとフレキシブルだったのではないでしょうか。
今の時代、昔より生活は楽になっていて、「貧しい」の基準が全く違うと思います。
つまり、昔は貧しさが自分や家族の死に繋がっていたことでしょう。
経営判断ひとつに、命が左右されることもあったはずです。
そんな中、時代を見極め、自然を見極め、英断を下して、努力をして、ひとつのスタイルを確立させた。
自分の家族のため、作物を変える。栽培方法を、売り先を変える。土地すら引っ越す。開墾する。
今私たちが恩恵を受けているスタイルが、先人たちが命を懸けて本気で考えてフレキシブルに対応してきた結果の一つだと考えると、先人たちは、俺たち後輩が"そのスタイルを守る"ことを望んでいるとは思えません。