長野県佐久穂町から八ヶ岳に向かい、メルヘン街道をずっと進むと、標高1700mを超える八千穂高原にそっとブリュワリーが佇んでいます。
週末限定で営業している、八千穂ブリューイングカンパニーは「八千穂の森で最高に美味しいナチュラルビールを目指して」というメッセージを掲げながら、ホップの自家栽培もしています。
オーナーの高岡さんに八ヶ岳とビールづくりについてお話しをうかがいました。
オーナーの高岡さん
テロワールを活かしたビールづくり
左からペールエール、IPA、ピルスナーの3種類のビール
「テロワール」とはワインによく使われる言葉で、原料となる農作物をとりまく土地や自然環境のことを指します。土壌や地形、気候、そこに棲む生物、そして栽培者など、同じ原料を使っていても、その土地の個性で味が変化する。どこにでも固有のテロワールがあります。
じつはオーナーの高岡さんは、ワインのプロモーション活動の仕事も行っているそう。ワインの業界では土地を活かすことが醸造の重要な要素のひとつとされています。ビールづくりでも土地を生かせるのではないかと、さまざまな挑戦をしています。
最近はブームもあって、クラフトビールが各地でつくられており、使用する原料やレシピで特色を出しながら、各社こだわりの個性をつくりだしています。
八千穂ブリューイングカンパニーで目指しているのは、まずは「王道のおいしいビール」をつくること。特徴のある原料やレシピで強い個性を出すのではなく、王道のビールをつくることで、結果的にこの土地の個性を強く感じられるような味を目指しています。
クラフトビール定番の「ペールエール」「IPA」「ピルスナー」の3種類で、まずは堅実なビールづくりを行いたいと高岡さんは話します。
クラフトビールは濃い味や苦味を強く感じるビールが多いのですが、八千穂ブリューイングカンパニーのビールはどれもスッキリとした味わいが特徴です。「いつの間にか飲み進んでいるビールが、理想のビール」だと高岡さんは話してくださいました。
この軽やかなビールがつくりだされる、ここ八ヶ岳・八千穂高原のテロワールは、どんな特徴があるのでしょうか。
八ヶ岳の山々がつくり出す、やわらかな水
ビールづくりでとても重要なのが水の存在です。ビールの原料は麦芽、ホップ、水ですが、そのほとんどを水が占めています。
ブルワリーの周辺は広大な白樺林に囲まれており、標高2,000mを超える八ヶ岳の山々がすぐ隣に連なっています。この山や森林に降り注いだ水が地下に浸透し、湧き出て、この地域の水源地ができています。
八千穂高原の白樺林
軟水の世界基準は硬度60mg/L未満とされていますが、ブルワリーの水源地の水は基準を大幅に下回り、硬度10mg/L以下にもなる「超軟水」。仕込み水を飲んでも、かなり口当たりがまろやかなのを感じます。
八ヶ岳は苔が豊富な山としても有名ですが、草木の種類がほかの山と比べて少なく苔の豊富な山の特徴が、水にも表れているそうです。
水が豊富な八ヶ岳
また、標高1700mの環境では水の沸点が94℃と低め。やわらかな水を優しく沸騰させることができるのも、この土地の特徴です。
ホップをこの地域に再生する挑戦
「テロワール」という考え方のなかで、もうひとつ八千穂ブリューイングカンパニーで取り組んでいることがあります。ビールの原料であるホップの栽培です。
ビールづくりに使っている生ホップ
50年ほど前まで、八ヶ岳周辺ではホップ栽培が盛んに行われていたそうです。しかし、だんだん海外産の安価なホップに押され、ホップ農家は今では姿を消してしまいました。
年間を通じて冷涼で病害虫の少ない八千穂高原地域は、ホップ栽培に適した場所のひとつです。じつは、この地域では当時のホップが生き残り、自生している場所もあるそう。休耕地をよく見ると、ひっそりと生えているのだとか。
今は海外産のホップも含めて、高岡さんの畑にはさまざまな種類のホップが実験的に植えられています。この土地に根づいているホップを再生し、それを原料にビールをつくることも、高岡さんのひとつの目標になっているそうです。
しかし、どうやら自生しているホップをまた栽培用に戻すことは簡単にはいかないそうで、地元の高校の農業科の生徒たちと採取・栽培の実験をしながらプロジェクトを進めています。
地元の高校生たちとホップ栽培の実習授業をしている風景
ホップ栽培の様子はこちらのブログで更新されています。
八千穂高原のひとつのシンボルを目指して
「まずはおいしいビールづくりをすることが第一優先ですが、いつかここを目指して人が訪れ、八千穂高原で自然の豊かさを感じながらゆっくり過ごしてもらいたい」。ブルワリーの未来について、高岡さんはこう語ります。
八千穂高原は目立ったレジャー施設があるわけではなく、四季で移り変わる自然の小さな変化を楽しめる人に向く静かな地域。のんびりと八ヶ岳の森を感じながらビールを楽しめるよう、今はブルワリーの庭の改装も計画しているそうです。
醸造所のタップルームでは生ビールとおつまみをいただけます
高岡さんをはじめ八千穂ブリューイングカンパニーで働くスタッフのみなさんは、本業は別の仕事をされています。しかも高岡さんは埼玉県から、毎週末ブルワリーに通っています。
休日だけ八ヶ岳につくり手が集まって、自然を楽しみ、リフレッシュしながらビールをつくるのが、このブルワリー。
休日にビールを飲みにこの醸造所に訪れて、ゆっくり話をすることを楽しみしている地元の方も増えているそうです。そんなゆるやかな楽しみ方・過ごし方が、おいしいビールとともにこの場所で広がっていくことを、筆者も楽しみにしています。
タップルームでは暖炉で温まりながら、ビールや軽食をいただけます。
外の景色を見ながら楽しめるように、今はお庭の改造を計画中