初春を迎えたとはいえ、信州はこれからがまさしく冬本番。冷え込みがいよいよ厳しくなります。こういうときには鍋! スキーシーズンまっさかりのこの信州の志賀高原の麓、あの猿たちの温泉で有名な地獄谷野猿公苑もある長野県山ノ内町湯田中渋温泉郷に、今をさること4年前の冬、新名物の「湯けむり蕎麦(そば)鍋」が誕生したのです。
なるほどこれも蕎麦なのだ
湯けむり蕎麦鍋。なんとも温泉場にふさわしいネーミングのとおり、それは湯けむりのごとく、こんこんと香りたつ味噌の香りの湯気と、最後の一滴まで飲みほしたくなる汁の美味しさ、さらに驚くべきは「湯けむり蕎麦鍋」の主役の蕎麦が、蕎麦は蕎麦でもみなさま方が、1週間前の年を越す際にズルッズルッとしたながくてほそーい麺などでないところ。その形態はなんといいますか、うーん、まさに「きのこの傘」そのもの(!)。おおっ、こ、これが蕎麦なのか、、、いいややっぱり食感は蕎麦なんだよな、と納得させられる、いと珍しき鍋なのであります。
蕎麦鍋はなにを表現しているか
情緒あふれる信州湯田中渋温泉郷の新名物となっている「湯けむり蕎麦鍋」は、平成16年の夏に温泉、自然そしてスキーと、四季を通じて人々を魅了している山ノ内町に、なにか足りないと感じた青年たちが結成したプロジェクト「チーム蕎麦鍋」のメンバーが、試行錯誤をかさねた末に開発した名物鍋。蕎麦もちを周囲にあしらい、温泉の湯けむりに見立てた鍋の湯気、地元でとれたきのこ(えのきだけ・ぶなしめじ・なめこ)や、雪に見立てた白髪ねぎ、山の新緑に見立てたセリなどの野菜をたっぷり加えて信州味噌で味付けをしたあつあつの汁で、ご当地山ノ内町を料理で表現しつくしたこだわりの鍋なのです。
今回「チーム蕎麦鍋」のリーダーであるJA志賀高原の徳竹好裕さんと、湯けむり蕎麦鍋を提供している店のひとつ、渋温泉「洗心館(せんしんかん)松屋(まつや)」の専務取締役の児玉知巳さんならびに若女将の恵子さんに、蕎麦鍋の誕生秘話などを聞きました。
「山ノ内の郷土食にそばすいとんのような『そばもち鍋』があると聞き、これを参考にそばの形を現代風にアレンジしようと丸くしたり、うすくのばしたりしていたある時、火の通りを良くしようと真ん中を凹ましてみたら、きのこの傘のような、なんとも面白い形ができると、閃(ひらめ)いたんです。」と語るのは徳竹さん。
たしかに、ここで使われている蕎麦もちの見た目の第一印象には、強烈なものがあります。さらに「地産地消」を基本に地元の食材にこだわり、いきついた味噌仕立ての味が、山の香り芳しいセリの風味などの野菜やきのこの味をぐっと引き立てているではありませんか。
ここで穫れるものをここで食べていただく
この鍋を提供する旅館のひとつ「洗心館松屋」は、およそ140年前の幕末に幕府から派遣された高橋泥舟((たかはしでいしゅう)勝海舟・山岡鉄舟とあわせ幕末の三舟といわれる)が渋温泉を訪れたさい、松屋を評して「心洗われる館」であると名づけたことにはじまる木の温もりを感じさせられる宿。その若女将と専務が口を揃えて言います。
「温泉はもちろんですが、お客さまも蕎麦鍋を最後の汁まで飲みほしていただくほどの人気なんです。これからも山里のここ(山ノ内)でしか採れないものを、ここで食べていただくことにこだわっていきたいですね」
進化しつつある湯けむり蕎麦鍋
平成17年2月に出現したこの名物料理は、その基本形を守りつつも提供する店舗や宿ごとに進化を続けてきました。豚バラや天かすなどを入れてスープにコクを出したり、秋はニンジンで紅葉を表したりと、山ノ内町の名物料理として着実に進化し地域に浸透してきています。湯けむり蕎麦鍋は、山ノ内町を愛してやまない地元の若者たちの熱意が料理となって具体化したものであり、冬にこそ「ふぅーふぅー」いいながら感じて、食べていただきたい一品です。
今回取材にうかがった渋温泉は、石畳の続く昔ながらの温泉街で、九つある外湯のほか、お金を洗うと増えて戻るという「銭洗い温泉」や、竹筒をふって出た番号の外湯に行き、願い事を書いてくくりつけると夢がかなうという「夢ぐり願い処」もありますので、年のはじまりには、湯けむり蕎麦鍋を食べてから開運を願うというのもよろしいかと。
湯けむり蕎麦鍋のお問い合わせ:
山ノ内町観光連盟
〒381−0401
住所 長野県下高井郡山ノ内町大字平穏
電話番号 0269−33−2138
*主に日帰り客は湯田中温泉内提供施設で、宿泊客は渋温泉内提供施設や志賀高原・北志賀高原の一部ホテルで提供されていますので、上記の山ノ内町観光連盟までお問い合わせください。