先週末に信州各地から雪が舞い降りたとの知らせが届いています。15日諏訪地方は最低気温は氷点下4・2度までさがり、蓼科山や八ケ岳連峰、茅野市郊外の杖突峠(1247メートル)などで、一帯が白く染まりました。
今後、里山へも雪が舞うことでしょう。昼間は、平年に比べ温度も高くぽかぽかしていますが、朝夕は空気が澄みきり、キーンと寒くなってきています。街を歩く人は、コートにマフラー、自転車に乗っている人は手袋と耳あてを装着しています。今後、いっそう暖房器具が恋しくなるでしょう。
今年も残すところ2週間。農家は、田畑や農業機械の片付けを行い本格的な冬に備えています。家によっては、トラクターなどの大型機械のバッテリーを一度外し、毛布にくるんで発泡スチロールの箱に入れておく農家もあります。なんでも、バッテリーが長持ちし節約になるとかで、寒さの厳しい信濃の国の農家の知恵でしょうか。(作業は危険をともないますので、はじめての方は必ず専門家の指導で行なってください)
信州各地のリンゴ園では、ほぼ「ふじ」の収獲を終えて、一年ごとに実りをくれる果樹の木々もようやくお休みシーズン。葉の落ちた果樹園というのもなかなかに風情があります。
飯綱町や志賀高原など雪の多い地域の農家は、多く雪がふるまえに少し早く今後12月末から無駄な枝を刈り取る剪定(せんてい)を施すようですが、他の土地ではリンゴの木の剪定が本格的にはじまるのはたいていは年が明けてから。これは中野市などのブドウ産地でも同様で、正月があけてはじまる剪定作業は、春の息吹きが感じられる3月まで続きます。
おいしいおいしい信州の長いもの掘り取りが、長野市松代などの土地で最盛期を迎えていています。この収穫作業は、旬を逃さぬようにこれから、年内いっぱい続きます。
スーパーや直売所に目を向けると、クリスマス用のハウスイチゴがぞくぞく登場しています。また、正月向けに花木などが準備され、まもなく最盛期を迎えます。
*巻頭のカバー写真を入れ替えました。先週末に下伊那郡高森町の市田柿生産者の方のハウスで撮影した見事な「市田柿」です。栽培については500年以上前から伝えられ、現在も伝統的な手法を生かしつつ、より安全安心な良い市田柿をお届けするように衛生管理がされたハウスなどで干されています。「自家用は、いまも昔と変わらず家の前で「柿のれん」で干しています。「コレが昔からの景色だからね」と生産者の奥様。出荷は、この20日頃からピークを迎えます。
●1959年、昭和34年の12月18日、その年の初めに開催された冬季オリンピック大会(コルティナダンペッツォオリンピック)でアルペンスキーの単独種目である回転・大回転・滑降のすべてで金メダルを史上初めて獲得したオーストリアのトニー・ザイラーが、長野市を訪れました。その後何度か彼はしばしば長野を訪れています。昭和も遠くなった感のする今では「白銀は招くよ」という彼が主演し、日本で大ヒットした映画の主題歌を覚えている人も少なくなりました。
19日は下弦の月で、その翌々日21日は二十四節気のひとつ冬至(とうじ)です。冬至は大昔の地球に暮らしていた古代の人たちにとっては一年で最も重要な日だったかもしれません。わたしたちと同じようなモンゴロイドで、アジア大陸に起源を持つ北米先住民の多くが、冬至を1年の初めと考えて、太陽の生命力が復活することを祈念する祭りを行っていることもその事実をあらわしています。サンタクロースの伝承も、おそらくヨーロッパの西北の少数民族の冬至についての言い伝えが元になっているのでしょう。
暦の用語のひとつに「二十四節気」というのがありますが、これは冬至からつぎの冬至までの太陽の動きを24等分したものです。暦便覧によれば「日南の限りを行て日の短きの至りなれば也」とあります。一年中で最も夜の長い日であり、この日からは1日に「米一粒ずつ」日が伸びはじめることから、昔ははこの日を年の始点と考えたのです。冬至には言い伝えも多くて「冬至冬中冬始め」「冬至かぼちゃに年とらせるな」「冬至の柚子湯は風邪を絶つ」「冬至に雪降れば豊年の兆し」などのことわざもあります。冬至は太陽の力が最も弱まる日になりますが、しかし、力がこれ以上弱まらないということは、この日を境に再び力が強まる(甦る)日でもあるわけで、冬至は、「一陽来復」の日として特別に扱われたのです。古代の人たちは、冬至の日にみんなで祈りをあげて天界の道を旅する太陽を元気づけるためにさまざまなお祭りをしたようです。
長野県の冬の特徴 長野地方気象台のウェブサイトより