江戸時代の接待料理を食べる。しかも使われる器はすべて当時のものーー。こんな夢のような体験を北信濃の須坂市で味わうことができます。
享保年間から続いている田中本家は「豪商の館」と呼ばれ、普段は博物館として多くの観光客を集める人気スポットです。当家に伝えられてきた献立を再現し、素晴らしい陶磁器や漆器に盛り付けることによって、江戸時代の食文化を生き返らせようという取り組みが、20年も前から続けられてきています。
恒例となったこの催しを通して、北信濃の食文化の源流に迫ってみようと秋の田中本家にお伺いしました。
先入観を見事に裏切る、明るくて闊達な食文化
江戸時代の山国の食文化とはいかなるものであったでしょうか。それは、数少ない山の幸、里の幸を工夫しながら作るきわめて質素なものと想像していましたが、この日に出会ったのは、それとはまったく違う美しくて喜びにあふれた料理の数々でした。
田中本家に伝わる接待帳(写真:豪商の館・田中本家博物館)
今回再現されたのは、当家に古文書として残る古い献立「萬賄方控帳(よろずまなかいかたひかえちょう)」の中から、嘉永元年(1848年)に上田藩のお奉行様をご接待した時のものです。
長芋や栗や天然のエノキタケといった地物食材とともに、アンコウや鯛、鮃、鱈といった海の幸がバランスよくつかわれ、食に対する視野の広さに驚かされます。
豪商がお金に物を言わせて作った特別な贅沢料理かといえば、そうではなく、須坂の他の料理屋でも同じような献立が作られていたようなのです。須坂藩は江戸時代一度も国替えのなかった数少ない藩の一つであり、殿様は何代にもわたって食を文化として育ててきたのでは、と想像できます。一般庶民の日常の食事とは違ったものであったとしても、地域の食文化全体を支える大きな柱であったことは間違いなさそうです。
今回のお品書き
※催しの雰囲気を壊さぬよう、料理は別室で撮影しました
豪商の館は現代を生き続けていました
蔵造りの町並みを代表する門構え
四季折々の花を楽しめる庭園
博物館に展示されている貴重な品々
ここ田中本家は、残された建物群や庭園もさることながら、蔵に保存された調度品の圧倒的な量と質によって「近世の正倉院」とも呼ばれています。陶磁器約8千点、漆器約3千点、衣装類約1,500枚などをはじめ、ありとあらゆるものが丁寧に保存され、おびただしい古文書類も残されています。
ただ、田中本家の神髄は建物や多くの名品をただひたすら保存・展示していることではありません。建物も庭も数々の調度品も、ここでは惜しげもなく「使われる」ことによって生き続けているのです。
十二代当主田中宏和さん
この日とても丁寧な説明をしてくださった当家十二代当主田中宏和さんは、「素晴らしい器とはいえ、使ってやってこそ意味がある」といいます。そう、ここで何代にもわたって保存されてきた器たちは、使われるために丁寧にしまわれてきたのですし、それぞれの時代の田中家当主の方々もそれを願っていたに違いないのです。
例えば磁器。黄ばむことなくつやつやとして色あせないのは、使い続けているからこそ、だというのです。
しっかりとした保存によって時代を超えた美しさを保つ
田中本家でも一部は展示され鑑賞に供されていますが、今回のような食事会に積極的に使われている器たちは、確かに江戸時代のものとは思えないほど生きいきとしていました。
ちなみに、この日使われた器も一つ残らず江戸時代の名品で、特に重箱と吸物椀は「初使い」(江戸時代に使われて以来)ということで、とても深みのある美しいものでした。
この満足度は「また来たくなる」、
そして「誰かに伝えたくなる」
参加された皆さんの感想はといいますと、食事のおいしさはもちろんのこと、食事をしながら眺める庭園の美しさや会場である建物の雰囲気の良さにも及びました。とりわけ異口同音に皆さんがおっしゃるのは「料理の盛られている器の素晴らしさ」でした。
食文化とはなんでしょうか。とりわけ世界の注目を集める和食の文化の神髄は単におなかいっぱいになればいい、おいしければそれでいい、というものではないのでしょう。盛り付けや器が大きな意味を持っていることは、日本人ならだれでも納得できるところです。
今回の参加者のうち「今回で3回目です」という方がなんとお二人。そのほかにご両親が「良かった」と言うのを聞いて自分も参加してみたくなった方、前回あまりにもよかったので娘さんたちを誘って参加した方、と感動の連鎖が生まれているようです。
秋の料理の一例
来館前の予約でいただける「橘弁当」
江戸時代の料理を再現したこの食事会は毎年3月と10月にそれぞれ10日前後開催されています。皆さんも一度参加されてはいかがでしょうか。
最後に、配膳していただいた方をはじめ当家のスタッフの皆さんの対応も申し分なく、そういった作法も食文化を支えているのだ、と感じたことを付け加えておきたいと思います。
豪商の館・田中本家博物館
長野県須坂市穀町476
TEL 026-248-8008