「雨乞い」は村人たちの真剣な営みでした
美しい円すい形の二つの山。夫神岳(右)と、少し低い女神岳(左)
祭りの日、塩田平の西側にそびえる夫神岳の山頂では日の出とともに神事が執り行われます。その後、青竹に反物を結わえた何本もの「岳の幟」と共に山を下り、ふもとの別所温泉周辺を巡り、最後に別所神社で舞いを奉納するのです。
この「岳の幟」の起源は500年以上前の室町時代にまでさかのぼります。ある年、大変な干ばつが塩田平をおそい、困り果てた村人は夫神岳に登り山頂で祈ったところ、3日にわたって雨が降り、農地を潤しました。その後、夫神岳山頂に九頭龍神をまつった祠をたて、毎年同じ時期に家ごとに布を織って奉納したことが始まりだと伝えられています。
法被の背に染めかれた文字は「おかみ」と読みます。「水神=龍」を指し、この行事のキーワードです
法被を着て幟を担いでいる方に聞いてみると、「幟は各家で1本、家によっては2、3本所有している」とのことで、確かによく見ると竹の部分に名前が書いてあります。「毎年新調する家もあれば、何年かにわたって使う家もありますね。昔は祭りの後、これでよく浴衣や布団を作ったらしいです。そうすると病気にならないってね」と言うことは、今はなかなか浴衣を作ったりしないんでしょうね。ちょっと残念でもあります。街道を見ると、行列に加わらず、幟を家の門に掲げているお宅もけっこうありました。
各家々が、幟という形で500年前の村人の気持ちを代々受け継いできている、これは驚きでした。ニュースにはあまり取り上げられませんが、この点がこの行事の一番素晴らしいところだとも思いました。
この願いが、天に届きますように
岳の幟は全体として華やかで高さもあるために、これらが行列をなした時の光景は壮観です。これなら天の神様にも届くに違いなく、500年前にこれを考えた人の作戦勝ち、といったところでしょうか。
岳の幟をかかげながら夫神岳から下山した一行は、ふもとでさらに何十本もの幟と合流し、そこに、ささら踊りをする子どもたち、三頭獅子を舞う一団も加わって大集団になっていきます。ゆっくりと歩みを進めながら、各所でささら踊り、笛の音をBGMにした三頭獅子の舞いが披露され、見物人も増えてきました。
地元の小学生によるささら踊り。ささらの軽快な響きが青空にこだまします
道中で見られる何気ない風景に心が和みます
熟練を感じさせる三頭獅子の舞い。竜頭青面の雄獅子2頭、竜頭赤面の雌獅子1頭からなっています
温泉街の老舗旅館の方に聞くと「この祭りを目当てに、県外からお見えになる方も多いですよ」とのことでした。どうやら、1998年の長野オリンピックで、閉会式のアトラクションとして参加したことが広く知られるようになったきっかけのようです。ちなみに、この行事は国の選択無形民俗文化財にも指定されてもいます。
日本各地に無数にある大小の祭りの起源の多くは農業と深く結び付いています。豊作祈願や豊作感謝、時にはこの岳の幟の様な雨乞いであったりします。
確かに水利技術がまだ未発達であった室町時代、干ばつは恐ろしい天災であったに違いありません。私たち現代人は、祭りを"楽しみの場"と捉えますが、どうにもならない自然の脅威に対して、真摯に祈り、感謝してきた農民の気持ちが作り上げた行事であることも覚えておきたいと思いました。(つかはら)