パッカ、パッカと響く蹄の音を聞きながら、すがすがしい高原の風を受けて、ゆったりと馬の背に揺られる――。そんななにものにも代え難い体験をしたいと思ったら、木曽郡木曽町開田高原にある体験施設「木曽馬の里」を訪ねてみてください。ここでは、過去に一時絶滅の危機に瀕したという「木曽馬」が30頭ほど飼育されています。
日本列島に最初に連れてこられた馬たちの子孫
木曽馬は、北海道の道産子や宮崎県の御崎馬と同じように、日本に昔から飼われていた「日本在来馬」といわれるポニーです。「古墳時代に家畜馬として、モンゴルから朝鮮半島を経由して九州に導入された体高(肩までの高さ)130cm程の蒙古系馬」(日本語ウィキペディア日本在来馬の項)をルーツにしています。奈良時代から平安時代にかけて、信濃国は馬の一大生産地で、勅旨牧という天皇直轄の官牧が16もあったといいます。木曽馬もこの時代以後1000年以上の長い歴史を木曽の人たちとともに過ごしてきました。信州の山に鍛えられたためか、スピードこそ出ませんが、傾斜地の歩行を苦にしません。木曽馬の里の案内板には、かの木曽義仲が挙兵した際に優れた馬として名声が高まり、各国の武将たちが競って木曽馬を求めたと記されています。
20世紀には30頭まで激減
木曽馬の平均的な体高は133センチほどで、一般的なサラブレッドなどに比べると小さく扱いやすいことから、昔から女性や子どもたちが世話をしてきました。そうした歴史からか木曽馬には温和な性格の馬が多いそうです。
明治期には6000頭もの木曽馬たちが農耕馬として活躍しますが、戦争の時代に突入すると、軍用馬として馬体を大きくするための改良が進み、女性や子どもにとって扱いづらい馬となってしまいます。また、農耕馬としての強健性も失われていたため、市場での評価も下がり、飼育頭数は次第に減少していきました。戦争が終わっても、車社会の到来とともに、減少のスピードはさらに上がっていきました。
この状況に危機感を抱いた地元の有志が、昭和44年に「木曽馬保存会」を結成します。さまざまな人の努力で、昭和50年代には30頭にまで落ち込んだ数も現在では全国で150頭ほどが飼育されるほどに回復しています。
忘れ難い不思議な乗馬体験
現在、木曽馬の里では30頭ほどが飼育され、放牧場や厩舎を自由に見学することができます。そして、子どもたちに人気があるのが、冒頭でも紹介した木曽馬の乗馬体験。2分、5分の係の人が馬を引いて歩く引き馬コースと15分の一人乗りコースがあり、引き馬なら2才くらいの子どもから体験できます。さっそく記者も5分コースを体験しようと受付に向かいました。もちろん、馬の背に乗るなど初めてのことであります。
備えつけのヘルメットを被り、階段状の乗り場から馬の背にまたがれば気分はすでに戦国武将。「いざ出陣!」――とは声にしませんが、係の人の合図でゆっくりゆっくり馬は動き出します。木曽馬は体高も低くあまり揺れないと事前に聞いていましたが、それはあくまで他の馬と比べれば、という話。やはり結構ゆれますので、初心者は鞍についている持ち手部分をしっかりと握る必要があるでしょう。
「体を起こして遠くを見るようにするといいですよ」と声を掛けられ、姿勢を正します。慣れてくると、余裕を持って周囲を見回すことができ、放牧場の馬や山々を眺めながら揺れさえ楽しむことができます。5分間は、はっきりいって「あっ」という間でありまして、しかしそれでも乗り物好きな子どもは絶対喜ぶでしょうし、大人だって童心に返ることができます。馬から降りても、しばらくフワフワとしたような揺れを感じるのも不思議な体験でした。
この夏休みにいかがですか
木曽馬の飼育・調教を統括している中川剛(なかがわたける)さんは「農耕馬としての仕事がない現代において、いかにして馬に仕事を与え、居場所を与えてやるかが課題」と話してくれました。そのため、木曽馬の里での乗馬や馬車での仕事のほか、各種イベント・祭りへの馬の貸し出しも行っています。また、地元の小学校で昔ながらに馬を使って田んぼを耕す馬耕の体験にも協力しており、中川さんは「地元の子どもたちの心に木曽馬を根づかせる体験をさせてあげたい。大人になったとき、自分の子どもたちに、その体験談を聞かせてあげてくれたら」と思いを聞かせてくれました。
夏休みの子どもの思い出に木曽馬の乗馬体験は、ちょっといいかもしれません。営業時間やアクセスなど詳しくは下記の公式ウェブサイトでご確認ください。
アクセス:
木曽馬の里
電話 0264−42−3225
FAX 0264−42−3191
木曽馬の里公式ウェブサイト
開田高原木曽馬の里ライブカメラ