千曲川流域を中心に堤防決壊などで甚大な被害を及ぼした昨年10月の台風19号災害から1年、復興に向けて支援してくださった方々に感謝の気持ちを伝える企画で被災した農家を訪ねる機会を得ました。
1年たったとはいえ、被災現場はまだ手つかずのところも残っています。被害の大きさに圧倒され、残念ながら農業の継続を諦めてしまった農家もあります。そんな状況下、協力してくださった農家に深く感謝いたします。
その一人、中野市上今井の神田茂貞さんは本ブログでも2004年に1年間、連載「神田さんちの農事録」を担当していただいた方でした。当時はまだ豊田村だったんですね。
15年後の被災では、その丹精込めたリンゴやモモなどの畑ばかりか、自宅も水につかってしまいました。お目にかかった8月末の段階で、柱を残して再建中の自宅は、1年を経て、ようやく復旧が見えてきたという状態でした。
それでも神田さんはじめ訪ねた農家の皆さまは、支援に駆けつけてくださった方々のおかげで、再起へ足を踏み出すことができたと、口々に感謝の言葉を語ってくださいました。
今回の災害では、被災地のJAに長野県NPOセンター、長野県社会福祉協議会、長野県生活協同組合連合会などでつくる県災害時支援ネットワークが加わり「信州農業再生復興ボランティアプロジェクト」を創設。全国的にもこれまでに例のない農業ボランティアを組織し、県内外から多くの有志が参加してくださいました。
以下、誠にわずかですが、それらを含めた多くの好意に対する被災農家からのメッセージを再掲します。(昭和人Ⅱ)
JA中野市 豊田清士さん、秋世さん(中野市柳沢)
「収穫目前のリンゴがすっかり水につかり、収入どころか処分料が必要な事態に。早々に駆けつけてくれた多くの方々のおかげで前を向くことができました。復旧した園地ではリンゴが立派に育ちました。諦めないことが大切だと、しみじみ思っています」
例年以上に大きくなったリンゴを前に
JAながの みゆきもも部会 部会長 神田茂貞さん(中野市上今井)
「モモはリンゴに比べて弱いようで、水につかった幼樹は春、芽吹いたものの枯れてしまいました。残った木の成長が、今のところ順調なのが救いです。浸水して使えなくなってしまった自宅の復旧を含め、復活への後押しとなることを期待しています」
復旧したリンゴ畑で
JAながの 栗田守衛さん、美子さん(小布施町山王島)
「『おいしかった』と喜んでもらえるのが農業の面白さです。今回もお客さんに、ずいぶん励ましていただきました。今になって弱り始めたモモが目立つなど、気がかりな点はむしろ来年以降にありますが、深くは心配していません。続けていれば何とかなります」
収穫間近の栗の木を前に
JAながの 宮﨑浩吉さん、ムツコさん(千曲市力石)
「ベッチーズブルー(ルリタマアザミ)を栽培していた(千曲川)河川敷のハウスは全滅。幸い、代替地が見つかり、来春以降の栽培にめどをたてることができました。大型ダンプ12、13台分にもなった泥のかき出しなど支援してくださった皆さまの思いに応えたいと思います」
修復したトルコギキョウのハウスで
JAグリーン長野 青壮年部長 もも部会長 宮﨑淳一さん(長野市篠ノ井塩崎)
「1年たち、再生された畑もある一方で、台風を機に農業を辞め、放置された園も目立っています。一時は自分もショックでしたが、食べていかなければならないし、何よりモモ畑も復活させたい。時間はかかるけれど、地域の皆さんと一緒に、できることをやっていきます」
まだら模様に復興が進む千曲川河川敷を見つめて
JA信州うえだ青年部 部長 大久保昌則さん、真理子さん(上田市真田町長)
「遊休地を新たに開墾するなど、被災して耕作できなくなった畑の代わりを確保。収穫の落ち込みは最小限にすることができました。来年はさらに規模を広げる予定です。後に続く世代のためにも、明るい農業の未来を自らの姿で示したいと思っています」
新たに借り受け、開いた畑で栽培を始めたトウモロコシを背に
JA佐久浅間 市川秀人さん(佐久市中込)
「(千曲川の支流)滑津川の堤防が決壊し、土砂に埋まったハウスを見たときは途方に暮れました。JAや昔の仲間から親戚まで、次々と駆けつけ、片づけを手伝ってくれたことで、本当に励まされました。体が続く限りは(栽培を)続けたいと思います」
再建したハウスで無事に咲いたトルコギキョウを見つめる
JA上伊那 農事組合法人「みのわ営農」理事長 大槻 長(おさし)さん(箕輪町)
「強風で町の稲作を支える育苗ハウスが倒れるなど打撃を受けましたが、JAの協力で新たな畑を借りてハウスを増やすなど、ぎりぎりだったスペースや配置を見直し、使いやすい形で再建することができました。若い後継者の励みになることを期待します」
たわわに実った稲を指して