幻のお米の里に伝わる「上原鳥追い祭り」

上原鳥追い祭り

とびきりおいしい「特A米」の産地として知られる佐久市浅科(合併前は浅科村)に「五郎兵衛米」という、お米好きにはたまらない高品質ブランドがあります。その五郎兵衛米の起源ともなった五郎兵衛新田村は現在の上原集落にあたり、ここにはとっても素敵でホッとする祭りが古くから伝えられていて、その名も「鳥追い祭り」と言います。
「この祭りとお米のおいしさは深いところでつながっているに違いない!」と推測した私は、新年の明けた3日に、佐久市浅科の上原集落に向かいました。

二百数十年にわたって伝えられてきた祭り
その主人公は子どもたちでした

上原鳥追い祭り

上原集落から望む噴煙たなびく浅間山

上原鳥追い祭りの起源は今から200年以上前の江戸時代中期寛政年間にさかのぼります。ある年、村中の農作物が害虫や鳥による大被害を受けました。その時、古老による「猿田様、道祖神のお祭りをやらぬからこんなことになったのだ」との言葉に従い、2月8日の道祖神にゆかりのある日に「鳥追い祭り」を行い、それが恒例化したといいます。

上原鳥追い祭り

祭り当日の朝、上原地区に足を踏み入れると、どこからか笛・太鼓の音が聞こえてきます。音のするほうに進んでいくと、赤い法被を着た小さな子どもたちと青い法被を着た少し背の高い子どもたち、さらに何人かの大人たちが村中の道を進んでいました。

上原鳥追い祭り

上原鳥追い祭り

上原鳥追い祭り

昨年祝い事のあった家では獅子が舞う

上原鳥追い祭り

BGMは太鼓と笛、そして「獅子舞のおはやし」

この鳥追い祭りでは午前中、祝い事のある家々を回って悪気払いをするのです。祝い事とは家を新築したり子どもが生まれたりといったようなことですが、昔は全戸を一日がかりで回ったといいます。
祭りについて「上原鳥追い祭り保存会」の栁澤日朗会長にお伺いしたところ「私が子どもの頃は、この祭りを1月6日にやっていたし、そもそも最初は2月7、8日の道祖神の日にしていたものなんです」との説明でした。保存会では現代の状況に合わせて、日程や内容などを調整しながらでも、なんとか祭りを後世に伝えていこうとしています。祭りの主人公はあくまでも子どもたちなのですが、人口流出と少子化の中、子どもの人数を確保するために参加対象を中学生までに拡大したり、「今は周辺地区の子どもたちにも参加してもらっているんです」とのことで、様々な苦労があるようです。

地域ぐるみで後世に残す。
これってとってもスゴイこと

上原鳥追い祭り

行列の先頭を行く大御幣の揺さぶりは、作物がすくすく育ち、稲穂が立つ様子を表している

さて、午後になると大御幣(おおおんべ)を先頭に、猿田彦大神の幟、飾り付けられた屋台が村中を進行します。そして所々で獅子舞。常にその中心にいるのは子どもたちで、村をあげてのお祭りが今に伝えられていることがわかります。獅子舞・お囃子など、学年によって役割分担があるらしいのですが、大人はあくまでもお手伝いのポジションです。ただし大御幣はとても重いので、こればかりは大人が交代しながら担当していました。
伝統的に地域の小学生全員が参加するので、「私も小学1年生から6年生まで6回やってるんだよ」とは、大人たちが口々に言う言葉です。これってとってもスゴイことじゃないでしょうか。地域の住民は子どもの時は最低6回、大人になってからはサポート役に回って、全員が何らかの形で祭りに関わっていくってことです。

上原鳥追い祭り

行列は、子どもたちが歌う独特の節回しの「屋台のおはやし」とともに進む

どの地域にも古来より伝えられてきた祭事はあって、数十年前まではそれぞれが盛り上がっていたはずです。しかし、そのほとんどは形骸化したり消滅するか、集客目的のイベント化したりしています。そんな中、「全員」が参加し、そして「現代の生活様式に合わせながらも、とにかく継続を目指す」という徹底した姿勢に感動を覚えました。ああ、祭りは規模の大きさじゃないんだな、と。

上原鳥追い祭り

休憩時間、獅子頭は子どもたちのアイドルに

鳥追い祭りが教えてくれた
おいしいお米作りに必要なもの

上原鳥追い祭り

「五郎兵衛用水つきせぎ」。流水を広く行き渡らせるために、水路の盛り土をあえて高くしている

少し五郎兵衛米のことをお話ししましょう。伝えられるところによれば、寛永3(1626)年に、上州出身の市川五郎兵衛という人が、小諸藩の許可を得てこの地で新田を開発しました。用水路を開削し、数々の困難を乗り越えての開発だったようです。鳥追い祭りが始まるさらに170年ほど前ということになりますね。後世になって、彼の名前をとって付けられたのが五郎兵衛米。生産量の少なさから「幻の米」とも呼ばれています。
20160106matsuri10.jpgちなみに上原集落には五郎兵衛記念館が建てられており、その近くには五郎兵衛さんの墓も存在しています。また、五郎兵衛用水は疏水百選に選定されるほどの素晴らしい用水で、今も残されています。水がきれいで重粘土質の土壌で栽培され、今なおこだわりの天日干しによって自然乾燥された米の品質は、時代を超え現在でも高く評価され続けています。

稲作は「文化」だとも言われます。つまり、栽培技術だけで語られるものではなく、耕作する人々の思い、天地・自然への感謝、村全体の世代を超えたまとまり、子・孫の世代へ良いものを残していこうという意思と実行、そういったものが合わさった「風土」が稲作には必要なのだと、今回の取材を通じて得心しました。

一般には、上原鳥追い祭りと良質米は関連付けられて語られてはいませんが、この日この上原集落で、この二つがしっかり結びついていることを感じざるを得ませんでした。(つかはら父子)

上原鳥追い祭り

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