JA長野県グループは、組合員をはじめ、一般の方々や子供たち、小学校などの協力で栽培したお米を毎年、食料不足に苦しむ北アフリカ・マリ共和国へ送っています。「国際協力田運動」といい、今年で24年目を迎えました。
この秋も、長野県内各地の国際協力田で収穫が行われました。
10月9日、その一つ、佐久市の小池清志さんの田んぼを訪ねました。
「国際協力田」ののぼり旗が並ぶ小池さんの田んぼ
「国際協力田」ののぼり旗や立て札が目印
佐久市野沢の住宅街の一角。道端のあぜに沿ってずらりと並ぶ「国際協力田」ののぼり旗ですぐにそれと分かりました。その先にはKIENA(小池さんの稲作を邪魔する仲間の会)の署名が入った「国際協力田 アジア・アフリカの人々に/支援米を送ります」との看板や小学生の名前を記した立て札なども。“ただものでない”雰囲気が漂っています。
午前9時の集合ぎりぎりに着いたせいか半分以上の稲は既に刈られていました。「もしかして、もう終わってしまった?」そんな懸念が頭をよぎりました。
手作り看板も
仲間と一緒に稲刈り作業
オーナーの小池清志さんは隣の公会堂の駐車場で作業に備えていました。雨を心配して前日に半分近くを刈っておいたのだそうです。
一昨年までは県外からの有志も参加してにぎやかに稲刈りしたそうですが、コロナ禍で規模を大幅に縮小。今年も近隣の仲間だけで作業することにしたそうです。
小池さんがバインダー(刈り取り機)で刈り取り、10人ほど集まった仲間がはぜ掛けを担当しました。休憩をはさんで作業時間は1時間半ほどだったでしょうか。1条刈りの小さなバインダーでも機械の力は絶大です。
小池さんがバインダーで刈り取り、駆け付けた仲間がはぜにかけていきました
はぜ掛け作業に汗
小池さんが国際協力田運動に関わり始めたのは12年前。公務員を早期退職して自給自足の生活を追求する中での出会いでした。
稲作に興味を持った仲間の求めに応じて実習体験のための水田を開設。その後、地元の中学生や小学生も受け入れ、一緒に農作業するようになりました。田植えから稲刈り、はぜかけ、脱穀まで、すべて手作業で取り組んだことも。「うちの子供は飯粒を一つも残さなくなった」と言ってくれる仲間もいたそうです。
支援米への提供は、実際に都内のNPO「マザーランド・アカデミー・インターナショナル」がマリ共和国に届けていることを確認して決めました。
自給自足を追求する小池さん
米はもとよりソバ、キビ、アワ、ヒエの穀類、野菜、果物からみそ、しょうゆといった加工品まで「食卓に上がるものは肉、魚以外自分でつくる」という小池さん。現在自給率は「自称95%」。食べ物以外にも電気は太陽光を中心に風力、水力まで手掛け、100%以上のエネルギー自給率を達成。屋根に集まった雨水も地上と地下のタンクに集めて再利用するほどです。
「自然に寄り添い、心豊かに過ごしたいと第2の人生を踏み出しました。一人で始めた活動ですが、面白がってくれる仲間がたくさん集まり、充実しています」と小池さんは手応えを語ります。
地元紙の取材に全員並んで記念撮影(正面左から2人目が小池清志さん、3人目が宮澤ますみさん)
国際協力田に関わって23年目のベテラン宮澤さん
仲間の一人、宮澤ますみさんは国際協力田に関わって23年目というベテラン。
「(アフリカに米が)届くはずがない、という人もいましたが、実際に現地の人々が喜んでいる報告を受けると、贈った自分も元気をもらっていることに気付きます」と語ります。
小池さんの作業を手伝うだけでなく、近年は自身も田んぼを借り、収穫した米を支援米として提供しています。「農作業は季節感があっていいですね。食べるものをつくっている幸せを実感しています」とも。
国際協力田はこうした人々に支えられているんですね。実感した秋の半日でした。