日本全国の名水100選(昭和の名水100選)を環境省が発表してから20年以上が過ぎた昨年6月、再び同省から「平成の名水100選」が発表されました。自然豊かなわれらが長野県では昭和の名水100選で3箇所が、今回の100選では4箇所が選ばれ、計7箇所の環境省認定の名水があります。平成の名水100選で選ばれた信州の4つの名水を巡る不定期連載の旅の最終回として、今回は雪深い北信州は下高井郡木島平村の「龍興寺清水(りゅうこうじしみず)」を訪れました。
引きも切らず訪れる人びと
「龍興寺清水」は上信越道豊田飯山ICから車でおよそ30分ほどのところにあります。取材に訪れたのは先週の土曜日の午前中。田んぼや畑には積もった雪が残るものの「やっぱり今年は例年より雪が少ないな」などと感じながら雪のない道路を進んでいくと、やがて名水への案内板を発見。
そこを左折してから進むこと1分ほどで名水に辿りつきました。しかし、水汲み場に設けられた4〜5台ほどの駐車スペースはすでに満杯状態。その後も絶え間なく車がやってきては、大きなボトルに水を汲んでいきます。その波は取材中最後まで途切れることはなく、土曜日の午前中という時間帯のことを差し引いても、地元に定着した人気の水だと思い知らされました。
カヤの平高原が育んだ地下水
「龍興寺清水」の湧水量は、平成の名水100選のウェブサイトによると、1日約1200トンにものぼります。この水はブナの大木や白樺が群生する「カヤの平高原」が育んだ地下水です。豊富な湧水量や優れた水質に加え、地区の住人が当番制で清掃活動を行ったり案内板を設置したりするなど、水を守ろうとする活動が、平成の名水の選出にあたって評価されたのではないでしょうか。地元の人々はこの水を飲用のほか、そばやうどんをゆでるのに使ったり、野沢菜を洗うのに使うほか、農業用水としても利用しています。
設置されている案内板に、この名水の由来が書かれていました。
龍興寺は治承年間に虎室と見竜によって南隣泉家敷に創建された古刹である。正応2年、明窓寒撤住職が撤通大禅師を招いて座禅供養会を催したとき一人の美女が来て「某にも戒法を授けたまえ。我は居多ヶ浜人なり」となのり、戒行に加わる。七日の戒行を終えて、美女の云うに「某は居多明神なり、戒法を授けていただいたお礼に霊泉を献ずる」と告げいずれにか立去った。姿が消えるとこの地に冷水が湧き出でた。村人はこれぞ霊徳と感じ「龍興寺清水」と名づけ大切に守り続けて来た。[龍興寺清水縁起 部分]
ひとりの美女が与えてくれた水
「居多ヶ浜」は上越市直江津周辺にある日本海に面した浜辺で、そこはかつて越後国の国府のあったところです。その居多ヶ浜からやってきた絶世の美女が授けた霊水というからには、なんとなく期待はふくらみます。
待つことしばし、いよいよ湧き水を味わえる番がやってきました。持参したボトルに入れる前に、注ぎ口に両手を差し出し、豊富に湧き出すその水を手の平に受けてグイっと飲んでみます。かすかに水の甘味のようなものが感じられ、そしてやわらかさというか、なんというか、そういう種類の飲みやすさがあります。また、これまでお伝えしてきた名水と同様に、キーンとした冷たさはなく、適度な冷たさです。
和紙づくりにも欠かせない霊水
この辺りはかつて「内山和紙」という和紙の産地として名が知られていたのですが、後で調べてみると、その和紙づくりにあたって、川の水より温度の高い龍興寺清水が重宝されていました。ひととき、この地方の一大産業となった和紙づくりは、時代の流れとともに衰退してしまったのですが、現在でも「龍興寺清水」のほど近くにある「内山手すき和紙体験の家」で紙すきが体験できます。事前に電話で確認・ご予約のうえおでかけください。
豊富な水量と優れた水質で生活面からも産業面からもこの地方を支えてきた「龍興寺清水」。これから、ウィンタースポーツなどで北信州を訪れる方は、ぜひ足を伸ばして立ち寄り、その味を堪能してみてください。
龍興寺清水へのアクセス:
住所 長野県下高井郡木島平村穂高(MAPPLEおでかけ地図)
上信越道豊田飯山ICから木島平村役場を目指して、117号線から38号線に入ります。栄町の信号を右折後、役場の手前を馬曲温泉方面に左折し、道なりにしばらくすすむと左手に案内板が見えますので見落とさないように気をつけてください。案内板に従って左折後、道なりに1〜2分で「龍興寺清水」に到着します。
参考サイト:
「内山手すき和紙体験の家」ウェブサイト
龍興寺清水(平成の名水100選のページより)
関連過去記事:
その3 長野県の名水を求めて 源智の井戸まで の巻(2008年12月10日)
その2 長野県の名水を求めて 木曽川源流の里の巻(2008年10月1日)
その1 長野県の名水を求めて いざ観音霊水への巻(2008年9月3日)