重厚な門構えのご本陣、独特な格子のある家や資料館、そして蕎麦屋に土産物店と、かつての宿場町時代を彷彿とさせる町並みーー。
ここは、県東部に位置する東御市の海野宿(うんのじゅく)。
今回は、江戸時代の旅籠から明治時代の養蚕商家が軒を連ね、古いたたずまいを残す海野宿をご紹介します。
江戸時代の旅人気分で、宿場を歩いてみませんか♪
雄大な自然に囲まれた東御市へ
上信越道・東部湯の丸ICから国道18号線で約10〜15分、千曲川のほど近くの東御市本海野に海野宿はあります。
一歩足を踏み入れると、地場産野菜や特産のくるみ・くるみ菓子などのお土産屋さんの賑わいが伝わってくるものの、どこか世界が、空気が、違うのです。歴史のなせる業でしょうか、まるで静寂すら感じられるような・・・。
海野格子と重厚感あふれる門構え
そして、目に飛び込んでくるのは、格子戸の家並みと町を流れる水路。
長短2本が交互に組まれ、美しい模様を描く格子は、「海野格子」と呼ばれ、デザイン的にも素敵ですね。清らかな水路とその脇の野の花にも心癒されます。
町のあちこちに野の花が
伝統的建造物の意匠に注目
「うだつが上がらない」という慣用句でお馴染みの「うだつ(卯建)」も見られます。「うだつ」とは、隣接した屋根の両端を高くして火災の類焼を防ぐ防火壁のことです。江戸時代中後期・明治時代には、豪商たちが富を競うように装飾などに凝った「うだつ」を上げるようになりました。それが転じて、「出世しない」「生活が向上しない」「見栄えがしない」などの意味を持つ「うだつが上がらない」の語源となったそうです。ここ海野宿も、明治時代には旅籠の2階を利用した養蚕業で栄え、うだつの上がる町となりました。「あやかりたいっ!」と思いつつ写真を1枚。
明治時代の装飾を兼ねた袖卯建(そでうだつ)
江戸時代の旅籠を活かした「海野宿資料館」では、その歴史や当時の生活が再現されています。江戸・明治それぞれの造形美が調和する海野宿は、「日本の道百選」や国の「重要伝統的建造物群保存地区」にも選定され、門構えや庭など、町の至る所に今も往時の繁栄を見ることができます。
海野宿資料館入口
町歩きには、すてきなことが待っています
ガラス工房橙
風鈴の優しい音に惹かれ、ふらりと立ち寄りたくなったのは、海野宿の中ほどにある「ガラス工房橙(だいだい)」。店内は色とりどりのアクセサリーや小物、グラスやお皿などで溢れています。特産のくるみ殻を燃やした灰を、ガラスの原料と混ぜ溶かして使っているのが特徴で、優しい雰囲気の品々はお土産にも素敵ですね。吹きガラスの体験教室(要予約)も行われています。
散策の途中で少し休憩したい方にオススメなのは、先月(2014年4月)オープンしたばかりの「喫茶 いっぷく ippuku」。古い民家を改装した市営滞在型交流施設「うんのわ 〜une noix〜*1」内にあります。
宿場ならではの入口を抜けると、そこには驚くほど広い敷地に、木造2階建て3棟が立ち並んでいます。蔵を改装したという喫茶棟の2階には、靴を脱いでくつろげる座卓席もありますが、天気の良い日に気持ちの良い中庭で頂くぶどうのソフトクリームも最高ですよ♪ 今後は、蚕室を改修し、蕎麦や地元食材を使った和食を提供する飲食棟や、母屋を改修した海野宿で唯一の宿泊棟(2組8名限定)もオープン予定だそうで、こちらもどうぞお楽しみに☆
古き良き時代を物語る海野宿
海野宿は、寛永2年(1625年)北国街道*2の宿場町として誕生。もともと海野氏の城下町であり、市も立つ活気のある町でしたが、参勤交代の諸大名や善光寺詣での参拝客が増え、また、佐渡金山でとれた金の輸送ルートでもあり、商業・交通の要となって大いに栄えました。総延長は約6町(約650メートル)、街道の中央には用水路が流れ、両側に103軒の家が立ち並び、常に25頭の馬が常備されていました。馬つなぎ石や塩舐めの石が今も残り、当時の馬の重要性を物語っています。
伝馬用の塩を盛った塩舐めの石
海野氏は、中世(平安・鎌倉時代)から続く東信濃(信濃国小県郡海野)の豪族で、源氏、木曽義仲、上杉、武田と、そうそうたる時の武将につかえていました。なかでも戦国武将、海野棟綱(むねつな)は、真田家の礎を築いた真田幸隆の祖父(父/養父説もあり)とも言われています。真田家の家紋(旗印)としても有名な「六文銭(六連銭)」は、海野家から継承されたものなのですね。そんな古(いにしえ)に思いをはせ、風情ある昔ながらの町並みをそぞろ歩きするのも一興ですよ。
本陣跡
ちなみに、再来年(平成28年)放送のNHK大河ドラマに「真田丸」が決定しました!! 三谷幸喜氏の脚本でキャスティングはこれからだそうです。ドラマも楽しみですが、真田家、そして、海野家ゆかりの地を巡る旅も、この機会にいかがでしょうか?
*1 「うんのわ 〜une noix〜」
市営滞在型交流施設。名前の由来は東御市特産のくるみを意味するフランス語「une noix」の発音を平仮名にしたもの。「海野(うんの)に入る人と人との輪(わ)が生まれるように」との願いが込められた。
*2 北国街道
江戸時代に整備された中山道と北陸道を結ぶ街道。追分で中山道と分かれ、善光寺を経て直江津で北陸道に合流する。