子供の頃は粗食でぜいたくはしませんでした

不定期連載 いつまでも若いあの人に聞いた

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イントロダクション
大自然に抱かれながら、およそ210万人が暮らす信濃の国――長野県。季節が変わるごとにみせる色鮮やかな風土や独自の食習慣の一端をこれまでも、当ブログマガジンでは紹介してきました。伝統や食を大切にする心は今でも脈々と受け継がれています。当然食習慣と健康には、大きなつながりがあります。そこで、気持ちが明るく前向きで健康であり、地域で存在感にあふれ影響力のある方々に、健康や食についてうかがっています。不定期連載「いつまでも若い人シリーズ」の今回は第4回目です。

 

何年やっても一年生です

65歳から就農してブドウ栽培に精を出す若林孝(わかばやし・たかし)さん(80歳)を、浅間山の雄姿を望む東御市に訪ねました。東御市は雨が少なく、日照時間が長いことから、県内でも有数の巨峰の産地として知られています。かつては養蚕やクルミを主とした農業が中心の地域でしたが、養蚕の衰退とともに転換期を迎えました。1962年には長野県の農業近代化モデル事業の指定を受け、桑畑だった圃場を整備して、本格的に巨峰の栽培がスタート。日当たりの良い南面傾斜の地域に誕生した中屋敷ぶどう団地が誕生し、今に至っています。就農から16年。「何年やっても1年生です」という若林さん。現在は、まだ見ぬ後継者への引き継ぎも視野に入れたブドウ栽培を行っています。

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畑の広さはどのくらい?

 

「巨峰は40アール。ここは義父から受け継いだブドウ畑。桑畑だったところを圃場整備してはじめたぶどう団地も高齢化が進んで、担い手が少なくなっているのが現状です。でも圃場転換した昭和35〜36年のころの義父や地域の人たちの苦労を知っているから、なんとか後世に受け継いでもらっていきたいと思っています」

 

65歳からの就農には、きっかけがあるのですか。

「65歳まで勤めをしていましたからね。戦後、全国農業会(のちに財団法人農民教育協会)が設立した茨城県水戸市の高等農事講習所(現・鯉淵学園農業栄養専門学校)で学んで、県職員として県内の農業改良普及センターなどで後継者対策を主な仕事にしていました。その間、信州大学農学部で農業経営も学べてね、当時は良かったですよ。わたしが退職したことから、それまでやっていた86歳の義父(現在101歳)から継承しました。じいさんとはうまくバトンタッチしたと思っていますよ」

後継者対策を仕事にしておられたことも役立ったのではありませんか。

「それがね、実際に農業をやるのは大違い。巨峰は剪定から不安定なんですよ。6月中旬ころの低温や雨、乾燥が良くないから、今年は本当に悩まされました。16年やっていても毎年1年生です。それに最近はブドウの皮をむくのが面倒とか、種があるのは嫌だとか、若い人に嫌われるから、需要に応えるために新しい品種を植えています。皮ごと食べられる『ナガノパープル』も作りはじめました。評判がいいですよ。除草剤をまくのではなく、ライ麦をまいた有機栽培もはじめました」

有機栽培や新品種への挑戦など、ますますお元気で。

「健康が取りえだから農業ができます」

健康で気をつけていることはありますか。

「できるだけ塩分を少なくしていますが、全部(奥さんに)まかせています」

子供のころはなにを食べていましたか?

「養蚕と米の農家に生まれました。でも白米は食べなかったですね。ひき割り(麦)の混ざったご飯や、野沢菜、ほうとうやおざんざ(うどん)を使って、母が味噌のつゆで『おにかけ(お煮掛け)』を作ってくれました。ごちそうといえば、ウサギやニワトリを骨まで団子にして鍋で煮て食べましたよ。それがおいしかったなぁ。ヤギの乳も飲んでいました。粗食でぜいたくはしなかったですね」

今では農作業も大切な健康法ですねえ。

「畑が隣り合う団地だから、防除は若い人にやってもらったり、お互いに励まし合いながらできます。ブドウ作りには、お金だけじゃないやりがいがありますよ。輸入果物が増えた今では、ブドウ以外の(収入の)基盤がないと就農が難しい時代。でも、作りやすいブドウに転換すれば後継者も引き継ぎやすいはずです」

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作りやすいブドウに転換しているのですか?

「わたしの代で、せがれ(息子さんは会社員)にバトンを渡すことは難しいから、整備された作りやすい品種にしておけば、新規就農者に貸すこともできるんじゃないかと思って整備しています。ブドウの樹を(上から見て)H型にする短梢剪定にすれば、作業効率も良いし作りやすい。ここを桑畑からブドウ畑にした先駆者の苦労を知っているから、畑が荒れることだけは避けたいのです」

後記 まだ決まっていない後継者への引き継ぎのために、畑の整備をはじめている御年80歳の若林さん。1本のブドウの樹が放射状に伸びる現在の栽培法から、H型の短梢剪定とすることで、ブドウの房が規則的に実り、作業効率が上がる作り方です。常に学び、新しいことを取り入れる柔軟性のある考え方は、見習わなくてはならないと思いました。

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第2回 外食しておいしく感じないものはご飯ですね(小谷村・相澤つたゑさん)

第3回「おいしかった」のひと言に支えられてます(上伊那・宮下たみ子さん)

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