毎年1月14日の夕方から15日の昼頃まで行われる長野県東部・長和町の「おたや祭り」。
参詣者は上田や佐久方面からも訪れ、多くの人で賑わいます。
楽しいこと大好き! お祭り大好き! な編集部員が「おたや祭り」をレポートします。
江戸時代から続く地域に根づいたお祭り
長和町の古町(旧長窪町)に所在する古町豊受大神宮の例祭は、通称おたや祭りとして知られています。「おたや」の語源は、田屋(たや)=開墾のための田んぼの小屋とも、旅屋(たや)=神宮の布教やお札を配る御師(おし)の宿泊場所とも言われており、その起源は江戸時代後期の文政11(1828)年の文書が、現在のところ最も古い記録として残されていますが、お祭りはこれ以前よりかなり行われてきたと考えられています。
まずは、古町豊受大神宮へ。早く着きすぎてしまったせいか、お祭り会場のメインストリートでは屋台の準備が行われているところでした。道を進むと、中ほどに御柱としめ縄が見えてきました。くぐると拝殿まで伸びる参道になっています。豊受大神宮には、穀物・食物を司る豊受姫大神が祀られています。
「昨年は台風で甚大な被害がありましたが、今年は自然災害のない平穏で実り多き年になりますように」と祈りました。豊受姫大神のお力を賜るため、御朱印もいただきました。
おたや祭り開催中には、見開きのデザインのものや、鮮やかな色の和紙でできた限定御朱印があります。和紙の御朱印には、300年の歴史がある長和町立岩で漉いた立岩和紙が使われています。地元の和紙でいただく御朱印ですので、より一層お力を賜れる気がしますね。
素朴な農民美術でもある伝統の山車
おたや祭りでは、参詣する人々の目を楽しませてくれる山車を見るのも醍醐味です。一般的に山車と言えば、引いたり担いだりする出し物ですが、おたや祭りの山車は、いわば設置型とでも申しましょうか、会場の各位置に奉納されています。お祭りを盛んにするために江戸時代頃からはじまったもので、歴史や干支などを題材に毎年異なった山車を作っています。農民美術を伝承する貴重な伝統文化として、昭和38(1963)年には、長野県無形民俗文化財選択にも指定されました。現在では、上宿保存会、上中町保存会、中町保存会、下町・藤見町保存会、桜町保存会の5つの保存会によって継承され、制作されています。
今年の山車を紹介します。
上宿第1場「島原の乱 対戦の場」
上中町第2場「鼠の嫁入りの場」
中町第3場「十二支のはじまりの場」
下町・藤見町第4場「立岩駒形岩の場」
桜町第5場「麒麟がくる 明智光秀『敵は本能寺にあり』の場」
今年は子年、干支のはじめということもあり、干支や大河ドラマ、長和町立岩の伝承などが題材となっていました。
人や馬といった登場人物はもちろんのこと、岩や建物の大きなものまで、手をかけて作られています。人物に注目してみると、目元や口元、シワの入り方がそれぞれ違い個性がありますし、馬は本物と見間違えるほどに忠実に再現されています。
リアルなたてがみですが、よく見ると使われているのは藁なんです。藁のほかには、枯葉や切った杉の木などを用いて、自然に、かつ見ている人がその一場面に入り込めるような工夫がされています。参詣者の中には、「毎年は来られないけれど、今年は久しぶりに来たよ」と楽しみにしていた方や、「すごい!」「よくできてるな~」と驚きの声もあがっていました。
人の力こそ無形の文化財
山車は、お正月三が日が終わった4日から、各保存会のみなさん約20名ほどで制作にとりかかるとのこと。10日間ぐらいで作り上げてしまうなんて、驚きですね。山車制作に携わった保存会の方は、「だんだん(制作する)人も減ってきて、違う地区の人にも手伝ってもらいながら一緒に作っているよ。お祭りが終われば、いっせいに撤収してしまう」と教えてくれました。こんな立派な山車をすぐ片づけてしまうのはもったいないな、と思ったのですが、「でも、伝統文化、無形民俗文化財としてはこれでいいんじゃないかな。本当に、山車作りにかけるパワーがすごいよね」と。
お祭りのために奉納される山車であり、お祭りを楽しみ、新年を祝う町民の思いと伝統を重んじる心があってこそ守られているのだなと感じました。
人が減ってきているという話がありましたが、これからも伝承していってほしいと思いました。
ライトアップされた豊受大神宮と山車は、また違った顔を見せてくれます。例年お祭りは夕方からですが、早めに行って日中の景色とライトアップした景色とを見比べてもおもしろいですよ。
山車を見ながら屋台へ繰り出すのも楽しみのひとつです。