ワインアカデミー卒業生60人の志
アルカンビーニュは斜面に建てられ、2階から出入りします
ヨーロッパではワイン醸造とぶどう栽培は一体のもので、ぶどう畑の一角にワイナリーがあります。それが集まって地域全体が一大ブランドとなっていますが、今長野県で起きている現象はこれに似ているのかもしれません。
おいしい巨峰の産地として有名だった長野県東御市に「ヴィラディスト」と名付けられたワイナリーがポツンとできたのは2003年のこと。その後、これをきっかけとしてワイン造りを志す人が集まってくるようになりました。この動きをとらえた当ワイナリー代表の玉村豊男さんを中心に作られたのが「千曲川ワインアカデミー」です。アカデミーは、ぶどう栽培、ワイン醸造、ワイナリー経営を系統的に学ぶことができる日本で唯一の民間講座として2015年に開校しました。
「ここで試飲もできますよ」と小西さん
4年目を迎えたアカデミーの果たした役割について、責任者(取締役・栽培醸造家)である小西さんは「最初の3年間で卒業生は60人を数え、その約半数がすでに就農しましたよ」と説明します。「就農」と表現するのは「ワイン造りとはぶどう作り」にほかならず、先ず土地を確保し、ぶどうを栽培するところから始まるからです。受講生は関東を中心とする県外在住者も少なくなく「医療関係やIT関連企業、音楽関係の方など農業の経験のない人も多いですね」とのこと。講義が平日行われたことを考えると「退路を断った、覚悟のチャレンジ」と言っても過言ではありません。
受講室に接したテラスから望むワイン畑と北アルプス
アルカンヴィーニュ醸造所内
アカデミーを開いている日本ワイン農業研究所株式会社「アルカンヴィーニュ」は、実際にワイン醸造も行っています。玉村さんや小西さんが時にここを「ゆりかごのワイナリー」と呼ぶように、ワイン造りを志す若者たちの情熱や夢を受け止め、育み、巣立ちを助ける場ともなっているのです。
アカデミー第1期生の富岡さん。今年、小諸市でワイナリーを立ち上げるという
良いワインは良い風景から生まれる
長野県の気候や地形がぶどう作り・ワイン造りに適していることは、多くの専門家が認めているところではありますが、そうは言ってもワインは人が造るものです。どんな人が、どんな理由でこの道に踏み出したのでしょうか。
ゼロから始めて実際にワインを造り上げるには、土地を探して確保し、苗を選定して定植し、それを育て始めてから3年目くらいにやっと収穫できたぶどうを最後に醸造する、という大変な助走期間を経なければなりません。その最短距離を走り抜け、昨年アカデミーの卒業生としては一番早くワイナリーを立ち上げたのは高山村の長谷光浩さんです。
長谷さんのワイナリー(ドメーヌ長谷)は、長野県北部のおいしい果物の産地として知られる高山村の扇状地の最上部にありました。東京でレコード会社に勤務していた当時は「飲む専門」だった長谷さんが、たまたまヴィラディストワイナリーで飲んだワインに衝撃を受け、そのまま自らワインを造ることを決心し行動を起こすまで、時間はかからなかったといいます。
アカデミーでは「出会うべき人(講師)に出会えて、ワイン造りとぶどう栽培が自分の中で完全に固まりました」と話す長谷さん。今まで積み上げたすべてをリセットさせ、家族の協力を得ながら新天地での農業に転身し、念願のワイナリーをなんとか立ち上げたとはいえ「ぶどう畑からまだ1円の収入も得られていないので・・・」と苦笑します。それでも数えきれないほどのハードルを越え続け、やっと今月初めての自身の手によるワインの出荷にこぎつけました。
高山村福井原の長谷さんのぶどう畑
ワイン造りを決心してから畑を探し続け、ここ高山村福井原にたどり着いた長谷さんは、一目見て「ここしかない。ここに決めた!」と即決したそうです。「良いワインは良い風景から」が長谷さんの自説で、「ぶどうを育む環境全体が素晴らしくなければ世界一のワインは生まれない」と力説します。
長谷さんから伝わってくるのは試行錯誤を繰り返し、たくさんの人と関わりながら1年に一度しかない収穫をより良いものにしていこう、という前向きな生き方です。
単なる仕事という感じではなく、ライフワークとして自ら喜んで取り組むその姿勢は、千曲川ワインアカデミー卒業生に共通したものでしょう。アカデミー卒業生によるワイナリーは、これからも長野県各地で立ち上がってくると思われます。そこで醸し出されるのはワインだけにとどまらず、農業に対する姿勢、地域との結びつき方、仕事の楽しみ方、家族のありかたも含めたつくり手自身の生き方そのものではないでしょうか。それらはきっとワインをより魅力的にする要素となっていくに違いありません。(つかはら)
千曲川ワインアカデミー
主催:日本ワイン農業研究所株式会社「アルカンヴィーニュ」