信州の農業資産 第1回「拾ヶ堰」(安曇野市)

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信州安曇野は稲刈りもほぼ終わり、「これぞ安曇野!!」という風景を演出する黄金色に輝く稲穂の波の姿が見られるのも、あと少しとなりました。安曇野の大地はぐんと秋らしい装いに変わりましたよ。季節の移ろいを感じる美しい風景を眺め、味ののったリンゴを堪能し、芸術鑑賞を楽しむなど、安曇野はまさに秋本番☆
そして、「そろそろ新米が食べられる」とうきうきしてくる!o(^O^)o それもまた、日本人ならではの感性ではないでしょうか。
安曇野の農業といえば、真っ先に「米」が連想されるように、今では県内でも有数の稲作地帯となっています。そして、「安曇野わさび田湧水群」と呼ばれる一帯には、農業と自然と人々の営みが紡ぎだす水のある懐かしい風景が広がっています。しかし、昔は安曇野一帯は水が乏しくて水田が作れず、荒涼とした原野が広がっていたのです!!信じられますか?

今回からスタートする新シリーズ「信州の農業資産」第1回では、水源が乏しく水田が作れなかったというかつての安曇野を潤した歴史的農業用水路「拾ヶ堰(じっかせぎ)」を取り上げます。


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堀金小学校付近から眺める拾ヶ堰と安曇野の田園地帯


安曇野の農業を支える歴史的存在
拾ヶ堰は江戸時代後期、水が乏しかった穂高地域を潤すために建設された堰(せき・せぎ:農業用水路の意)で、数多い安曇野地域の堰の中でも最大のものです。その偉大な功績が認められ、2006年に農林水産省が日本の農業を支えてきた代表的な用水路を選定した「疏水百選」にも選ばれています。
実はこの拾ヶ堰は、安曇野西端に位置する北アルプスから流れてくる水ではなく、木曽から流れてくる奈良井川(ならいがわ)から取水し(理由は後ほど)、北アルプス常念岳から流れてくる烏川(からすがわ)が終点。標高570mの等高線に沿って約15kmの距離をゆったりと流れています。完成当時、10カ村の農地、約300haを潤していたことから、「拾ヶ堰」と名付けられました。以後何度も改良が重ねられ、現在では約1000haの農地へ水を運んでいます。


安曇野の地形の特徴
なぜ昔の安曇野は水が乏しかったのでしょうか。それを知るキーワードが「扇状地」です。安曇野の西側にある北アルプスが形成された際、発生した土砂によって扇状地がいくつもできました。安曇野の面積の大半が、この扇状地が連なってできていると考えられています。
さて、この扇状地は砂礫(されき)で構成されるため、北アルプスから流れてきた川は、扇状地を流れるうちに地下に浸透して伏流水となってしまいます。実際、昔は扇状地の真ん中には集落はできず、伏流水となる前の水が得られる山沿いか、湧き水として得られる下流部分にしか集落はなかったようです。ちなみに大王わさび農場などで有名な穂高地区のワサビは、その湧水を使って栽培されています。
このように、川が地下にしみ込んでしまうため水を得ることが難しかった昔の安曇野では、鎌倉時代頃に梓川の水を利用した灌漑工事が進められ、たくさんの堰が造られ、南部でも耕作が可能になりました。しかし、現在の穂高・堀金地区を中心に未開発の土地が残っていました。その未開発の土地を灌漑しようと、江戸時代後期の文化13(1816)年に造られたのが拾ヶ堰なのです。


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奈良井川の拾ヶ堰頭首工(取水口)


短期間で行われた驚異的な大工事
拾ヶ堰は、水源を木曽から流れてくる奈良井川に求め、15kmもの距離を、標高570mの等高線に沿って流れています。それまで造られた多くの堰は、川から取水して高いところから低いところへ流す縦堰(たてせぎ)だったのに対して、拾ヶ堰は等高線に沿って流す横堰(よこせぎ)で、高度な土木技術が必要とされました。奈良井川からの取水口と、終点である烏川との標高差はわずか5m。そのため拾ヶ堰の流れはとても緩やかなのです。3km進むごとに1m下がるという微妙な勾配を、江戸時代にクワなどを使って手作業で実現させたことにまず驚きます。しかも、15kmの測量に要した日数が18日、工事自体にかかった時間はたった3カ月と、約6700人の農民などが協力し驚異的な早さで完成しています。水を本当に必要としていた地域の農民が結集し、大きな力となって大事業を成し遂げたのですね。


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高家バイパス付近


あたかも下から上へ、山へ向かって水が流れる!?
忠実に等高線に沿っていることで、国道147号線「高家(たきべ)バイパス」辺りでは、拾ヶ堰は北アルプスに向かってゆっくりと流れていきます。普通は川は山から流れてくるはずなのに、と不思議な感覚に陥いる方も多いのではないでしょうか。現在この辺りには複数の公園が整備されており、田園風景に囲まれながら気持ちの良い風を感じることのできる絶好の散策&サイクリングスポットとなっています。


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北アルプスへ向かって流れる拾ヶ堰(高家バイパス付近)


川と川が交差する!?
拾ヶ堰の工事で最も大変だったのが、梓川を横断させる工事でした。梓川は、奈良井川と水を引き込む地域の間にあるので、奈良井川から取水すると、必ず横断する必要があります。梓川は河原が大変広かったのですが、下流側に土手を築き、梓川の水が流れる部分は牛枠(うしわく)と呼ばれる道具などで堰き止めることで、拾ヶ堰の水を横断させました。しかし大雨などで増水すると決壊してしまうため、何度も補修工事を行ったとのことです。

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梓川を堰きとめて渡していた当時の様子

さて、ここで一つ疑問が浮かびますよね。そうです。「なんで梓川から取水しないんだ?」という疑問です。その理由は、梓川の水は地下に浸透したり、上流で多くの用水路に利用されていたこともあって奈良井川よりも水量が少ないうえ、当時すでに下流でも取水されており、拾ヶ堰のような大規模な用水路は取水することができなかったからだと言います。他には、梓川の水温が少し低めだったから、という説もあります。どちらにしても、川が川を渡るというなんだか不思議で大変な工事が成功しなければ、今の安曇野の田園風景はなかったといえるでしょう。



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梓川サイフォン入口。ここから地下へもぐって梓川を越える


現在は、梓川の下をトンネルで通っている!!
江戸・明治と、何度も補修工事が行われた梓川の横断箇所ですが、大正時代に大改修工事(サイフォン工事:水の高さを保つ性質を利用した方法)が行われ、なんと梓川の地下に埋めたコンクリートの管を通るようになりました。平成7年には新しいサイフォンが建設され、現在でも拾ヶ堰は梓川の地下を横断しているんです!!w(*゚o゚*)w 今は、中央道梓川SA併設のスマートIC付近、国道147号線アルプス大橋の真横を横断しています。サイフォン出口には、平成7年の工事の掘削作業で使われた巨大な円盤型のドリルが、モニュメントとして展示してありますので、ぜひ一度ご覧になってみてください。


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梓川にかかるアルプス大橋。この下を拾ヶ堰が通っている

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梓川サイフォン出口

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梓川サイフォン出口にある、掘削ドリルのモニュメント


安曇野の風景をつくった文化遺産
このように建設され、長きに渡り維持されてきた拾ヶ堰は、安曇野の現在の姿をつくるのに必要不可欠な文化遺産です。さらに現代においては、従来の農業用水路としての機能のみならず、訪れる人と住む人を魅了する「安曇野の原風景」を守っていくうえで欠かせないものでもあります。
そんな拾ヶ堰に沿って、全長15kmのサイクリングコース「あづみ野やまびこ自転車道」が整備されています。歴史や先人の偉大さを感じながら安曇野の田園風景を満喫できるコースです。名所巡りの観光とはまた違う旅をお望みの安曇野ファンにはおススメです。貸し自転車などを利用してぜひ体験してみてください。


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拾ヶ堰終点。烏川と合流


【拾ヶ堰の地図】
 赤く塗りつぶしてある部分が、拾ヶ堰による灌漑区域です。

より大きな地図で 拾ヶ堰 を表示


「信州の農業資産」第1回は、安曇野産のお米を食べる機会がありましたら、ぜひ思い出していただきたい「拾ヶ堰」をご紹介しました。みなさんがおすすめの「信州の農業資産」もぜひ教えてくださいね。


関連リンク

安曇野水物語(安曇野市HP)
水土の礎「安曇野水土記」(農業農村整備情報総合センター)

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