先週の金曜日、小正月のこの日、新月の夜、激しい雪の降る下高井郡野沢温泉村で、日本三大火祭りのひとつといわれる「野沢温泉の道祖神祭り」が開かれました。国の重要無形民俗文化財ににも指定されているこの祭りを見ようと会場の「馬場の原(ばんばのはら)」には観光客を含む4000人を遙かに超す数の人びとが集まっていました。
それは通過儀礼の祭り
無病息災や五穀豊穣を祈る道祖神祭り。江戸時代後期にはすでに盛大に行われていました。その主役となるのが数えで42歳、41歳、40歳を迎える厄年の男たちです。この3つの年代でつくる「三夜講(さんやんこう)」という組織を中心に、さらに25歳の厄年を迎える男たちが祭りの運営に加わります。なかでも本厄を迎えた42歳の男たちが幹事役として中心的な役割を担います。村に住む男性によると、野沢温泉村では20歳の成人式を迎えた後に、25歳の厄年でこの祭りをやり遂げることにより、ようやく大人の仲間入りができるのだそうです。いうならばそれは通過儀礼なのです。
男たちは25歳の厄年を迎えると、自分たちの「会」をつくります。そして全員でアイデアを出し合い、会の名前を決めます。このときつけられた名前は、その後もずっと使われ続けるのです。今年の祭りの中心を担った42歳の厄年のみなさんが命名した会の名前は平和会、25歳の仲間たちの会は願友会という名前でした。
大雪の降りしきるなか
祭りの会場となる馬場の原では、祭りの前日の14日から社殿づくりがはじまり、15日の昼過ぎに完成。高さは高さ約10メートルほどもあるでしょうか。秋のうちに切り出したご神木を中心にブナの木などで作られています。社殿づくりはすべて昔ながらの手作業で行われ、針金や釘などは一切使わず縄をしばって組みあげていきます。
折からの寒波の影響で、14日、15日とも大粒の雪がしきりに降り続く中での作業でした。14日は深夜を通り過ぎて、朝の4時まで作業は続き、1時間ほどの休憩のあと、6時30分には作業が再開されたといいますから、ほとんど寝ずの作業だったようです。
15日の午前中、社殿づくりも終盤を迎えたころ、平和会の事務局長を務める篠田清嗣(しのだ きよつぐ)さんに祭りへの思いを聞きました。
意識を高めるための酒
「祭りを取り仕切るのは一生に一度という気持ちで臨んでいます。村から出て行った友人も祭りのために久しぶりに帰ってくるので、一緒にできるのは楽しみ。歴史のある祭りは、ある意味で『できることが当たり前』なのでプレッシャーはあります。今は、準備で人の集まりが足りなかったり、段取りが上手くいかなかったりした面があって、余裕がない状態です。だからまだ気持ちが高まるというところまで来ていなくて、社殿ができて、お酒が入って、それからやっと本番に向けた気持ちになるんじゃないかと思います」
社殿完成は午後2時30分頃。花火が打ち上げられ村中に完成が知らされました。完成にあわせて神事が執り行われましたが、儀式の間だけ、雲間から太陽の光が現れました。儀式の終了とともにその光は嘘のように消えて、その場に居合わせた多くの人が不思議を体験しました。
命あるなら来年も また来年も
そして日も暮れた午後7時。火祭りの元になる火をもらいに、平和会や願友会の代表などが火元となる河野家を訪れます。ここで1時間ほど火元もらいの儀式が続くのですが、ここでは出されたお酒をすべて飲みきるまで火をもらえないのです。「命あるなら来年も また来年も 命あるなら来年も」と、ゆっくりした調子の「道祖神のうた」を唄いながら、次々とお酒を飲み干していきます。
かつてこの儀式に参加したというある男性は、「一升ほど飲んだのではないか」と振り返り、火をもらうころには、ふらふらの状態になることもあるそうです。そして、ようやく貰えた火は、大人が数人で抱えるほどの大きなたいまつに移され、大雪の降る中、細い雪道を慎重に会場まで運ばれていきます。
火祭りが最も火祭りらしい時間
会場に到着した火元は、社殿から30メートルほど離れた場所にあるボヤ(枝木)に移され、これが元火となります。この元火からたいまつに火をつけ、村人たちが社殿を焼こうと向かっていきます。
この火から社殿を守るのが25歳の厄年の男たちの役目です。社殿の下に陣取った男たちは次々とやってくるたいまつの火を叩いて落とし、火を消していくのです。最初のうちは村の子どもたちが火付け役に当たっているのですが、大人たちの出番となるといよいよ攻防は激しくなります。怒号が飛び交い、男たちの顔は煤にまみれていき、会場のボルテージは一気に高まります。たいまつの火が大挙して社殿に向かうたび、観客から歓声があがります。
この時42歳の本厄の男たちは社殿の上に陣取り、上からたいまつを放り投げ、「火ィ、持ってこ〜い」と合唱しています。この「上から落とされたたいまつ」だけが火付けに使えるのです。また、あちこちで一升瓶を持った村の男たちが観客にお神酒を振る舞っており、瓶からラッパ飲みする姿が見られます。
夜空を焦がす炎
この日、大雪は祭りの間も絶えることなく降り続け、やるほうも見るほうも実に過酷な状況となりました。そして、攻防が続く間に、元火のボヤは少しずつ社殿に近づいていきます。攻防がはじまってからおよそ1時間半ほど経過した午後10時。社殿上にたいまつがなくなると、いよいよ手締となります。
「ショーン ション オショションノ ショーン ション」という掛け声を合図に社殿の上にいた男たちも下に降りはじめ、全員が降りたところで、ボヤから社殿に火が移されます。
一日以上の時間とエネルギーをかけて完成した立派な社殿は、その後わずか8時間足らずもしないうちに、一気に炎に包まれ、空を焦がします。赤々と燃えさかる炎には、なんともいえない儚(はかな)さがありますが、この儚さもまた、祭りの味わいのひとつであり、醍醐味なのかもしれません。
来年はいらっしゃいませんか
燃えあがった炎は翌日まで消えることがなく、翌朝残り火で餅を焼いて食べると風邪をひかず、一年間健康で暮らせると言われています。記者たちも一年の健康を祈っておいしいお餅をいただくことができました。
野沢温泉村の道祖神祭りは、土地の神さまへの奉納として毎年1月15日の小正月の日に行われることがきめられています。日本各地で行われるどんと焼きの大がかりのものなのです。野沢温泉が観光地であることを考えると、毎年、日を変えて15日前後の土日に開催するほうが、もっと多くの観光客を誘致できるのでしょうが、昔からの日にち、昔からのやり方を守ることもまた、この祭りを稀有な存在とし、人々を惹きつける魅力の元となっているのかもしれません。
最後に、激しい雪のなかのこの夜の火祭りのうたかたの夢のごとき雰囲気をわずかでも味わっていただきたく思い、手持ちのビデオで撮影した4分ほどの動画も掲載しておきます。
関連するサイト:
・野沢温泉村公式ウェブサイト
・野沢温泉観光協会ウェブサイト
・野沢温泉の道祖神祭り