いわゆる「本家」の仏壇を一人で守っていた伯母が、このほど他界しました。 主のいなくなった家の整理に追われています。 故人はもとより、それにつながる先祖の品々がいろいろ出てきます。 その一つに「小林一茶勧農詞」と張り紙がある木箱。 張り紙というのがいまいちですが、中には「一茶の勧農詞」と書いた軸がありました(上の写真)。 一茶といえば、あの... もしかしたら、たいへんなお宝なんじゃないかと、心躍らせました。
裏の由緒書から、一茶晩年の文政期に著した「勧農之詩」が、明治35年ころ見つかったこと。珍重され、石版画にして上水内郡農会出品作の賞品(?)にされたこと。入手後、傷んだので昭和7年に表装し直したことーーなどと読み取ってみましたが、自信はありません。 とりあえず、この軸の元は石版画のようです。 少しがっかり。 ネットで検索してみると、かつては一茶の作として流布し、明治時代には長野県で使用された教科書「補修国語読本」に載っていた、などとありましたが、原作者は江戸時代後期、下伊那飯島の歌人・宮下正岑(みやした・まさみね、1774-1838)のようです。小林一茶(1763-1828)より10年ほど後の人で、その自画像の賛として勧農詞が記されています(飯島町指定有形文化財)。 一茶のお宝ではありませんでしたが、ほぼ同時代の信州にこうした歌人がいたことを今さらながら知りました。 勧農詞とは、農業を奨励し、農村の暮らしを讃える詩。贅沢三昧を尽くした支配者目線で説かれるとしたら反発を覚えないわけではありませんが、日々の生存に欠かせない食べ物をつくる百姓の矜持は、多くの人の心に響いたことでしょう。(昭和人Ⅱ) ※「勧農之詩」初出とされる「一茶一代全集」(丸山可秋編著、1908=明治41=年刊)の記述は、デジタルアーカイブ「信州デジくら」で確認できます。 ※宮下正岑の自画像は、八十二文化財団のサイトに掲載されています。 ※こちらの「勧農詞」は飯島町教育委員会が編集した「飯島町文化財写真集 第3集」(1992年)に「『歌人・宮下正岑傳』(兼清正徳 著、桃沢匡行 編、1988年)から」と断って紹介しています。興味のある方はいずれかの書籍で確認してください。
こちらは 2019.03.05 の記事です。農畜産物や店舗・施設の状況は変わることもございますので、あらかじめご了承ください。
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