新年明けましておめでとうございます。
お正月はいかが過ごされたでしょうか。たくさん食べて飲んで十分に栄養補給をした人や、たっぷりと寝溜めをした人、また久しぶりの人との交流など、いずれにしてもこの時期にしか出来ないいいお正月を過ごされたことと思います。振り返ればあっという間の年末年始休暇でしたが、大晦日から元旦にかけて、県内をはじめ多くの地域で雪が降り、何十年ぶりの降雪となったところもあったようですが、この白い雪のおかげで、心が清められるような元旦を迎えることが出来ました。
これからしばらくは寒気が一年で最も厳しくなる時候ですが、冷え込みはずっと続くのではなく、数日の間隔でゆるんだり、また冷え込んだりを繰り返して、ゆっくりと春に向かいます。雪もおさまり太陽が顔を覗かせた翌日2日、善光寺に足を伸ばしてみれば、参道はごった返すほどに大勢の初詣の人で賑わっていました。そして翌日3日、県北部の長野市ではまたもや雪。スニーカーがすっぽり埋もれてしまうほどの雪が早朝より降り積もっており、家の外に出ればあっちでもこっちでも人々が正月早々朝から大量の雪かきに追われていました。ということで県北部の山沿いに住む人からは「この休みは雪かきばっかりでくたびれた」なんてぼやきの声も聞かれました。
しかしこの雪を待ち望んでいたのがスキー場でした。駐車場には県外車も多く見られ、ゲレンデでは雪を楽しむ子供から大人まで多くの人で賑わっていました。またスキーの後の楽しみとして立ち寄りたいのが温泉ですが、お正月のこの時期は温泉を楽しみに訪れてくる人もとりわけ多く、浴室内はもちろん、施設内にある休憩所では家庭から持ち寄ったであろう漬け物やミカン、そしてお菓子などがテーブルの上に広げられ、さながら家にでも居るかのように人々はおしゃべりをしたり寝っころがったりしながら大勢の人がくつろいでました。
来週11日の成人の日を前にこの正月休みに一足早く成人式がおこなわれた地域もあった様で、振袖姿が新年を迎えた街を一層華やかにしていました。大人の仲間入りを果たした新成人たちは、どんな決意を胸にしたのでしょうか。またすでに成人式が遠い昔となった人も、新年を迎え、今年はどんな抱負をもたれたでしょうか。
寒いこの時期のおいしいフルーツといえば、「コタツにあたりながら食べるミカン」と答える人も多いと思いますが、県南部の伊那市にある「みはらしいちご園」では、今年も日本で一番早いスタートをきって元日の午前0時からいちご狩りがオープンとなりました。
また県東部の小諸市にある「こもろ布引いちご園」や県北部長野市のJAながの・アグリながぬまでも元旦よりいちご狩りが 開園となりました。みなさま、信州でもいよいよいちごのシーズン到来ですよ。施設によっては予約制のところもありますので、事前に確認をしてお出掛けください。
元旦1日、長野市の西に位置する信州新町と中条村が長野市に加わり、新長野市が誕生しました(左図は長野市のマーク)。中条村は「長野市中条」へ、信州新町は「長野市信州新町」に住居表示も変更されました。この地域は傾斜地が多く昔から大豆などの栽培が盛んで、また”おやき”も有名な地域。さらに信州新町は羊肉のジンギスカンでも知られています。こうして長野市は人口が7800人増加の38万9500人となりました。
今年は4月からおよそ2ヵ月半、県南部の諏訪地方では7年ぶりの「御柱祭」を迎えます。また10〜12月にかけては「信州デスティネーションキャンペーン」として県下各地で多くの人に長野県を楽しんでもらえる様々な企画を数多く計画しています。
本年も長野県を、そして「長野県のおいしい食べ方」をどうぞよろしくお願いいたします。
*巻頭のカバー写真を入れ替えました。長野県佐久市前山に積み上げられていた「薪」です。人は薪で3回暖まると言います。薪割りのとき、積み上げるとき、燃やすとき。薪を作るには、通常2、3年はかかります。木から丸太を切り出し、日当たりと風通しのよい場所に積み上げて、じっくりと時間をかけて木の水分を飛ばします。写真の丸太は昨年の夏に切りだしたもの。丸太作りの時に集めた枝は既に乾燥しているため、すぐに火にくべることが出来るのですが、この丸太はあと2年ほどかけて、乾燥させることが必要です。みなさんがどこかで目にするストーブの薪も、2、3年前から風や日に照らされて、冬を数えて、ストーブに運ばれる準備をしていたものかもしれません。
●ガーデニングや菜園造りを生き甲斐にするみなさん、1年の菜園造りの計画は早めに立ててください。今は堆肥を作る時期です。この時期に作る堆肥には虫害の心配が少ないといいます。ただし川や溝の泥などを使うときは、昔の人は、泥や砂土を昨年のうちにさらいだし、1月上旬の寒気に触れさせて、そこに含まれる有害なものを撲滅させ用いたそうです。また今年使うことになる農機具を点検し、部品をそろえ、汚れを落とし、洗浄し、必要なら油をくれたり、刃を研いだりしておきましょう。手で使う道具の取っ手には色鮮やかなペイントで目につきやすいはっきりした印をいれておくと、いざ菜園で使う段になって目だって便利です。冬晴れの日に、なにも植えられていない菜園をじっくり観察して、どこになにを植えるかの計画を立てておきましょう。菜園の近くに暮らす農家の人に土のことや育てるもののことで相談に行くのも良いかもしれません。
6日には善光寺でおびんずる回しがおこなわれます。本堂妻戸台右脇にあって、普段から観光客になで回されて黒光りしているびんずる尊者像を参拝者が綱で引き回し、福杓子(ふくしゃもじ)で木像をなでる。終了後、参詣者には杓子が授与され、その杓子で尊者像をなでて持ち帰ると、一年を無病息災で過ごせるといわれています。午後7時から。
7日は七草の日。また1998年2月7日長野冬季オリンピック大会の開会式で世界的に一躍脚光を浴びることになった芦ノ尻の村境でにらみをきかせる道祖神の祭りがこの日におこなわれます。長野市大岡芦ノ尻で行われる県無形民俗文化財指定の伝統行事で、家々から持ち寄った松飾りのしめ縄で奇っ怪な神面作りや道祖神への飾り付けが午後1時30分から。そしてこの夜は下弦の月。
8日は上田の信濃国分寺で八日堂大縁日。護符の蘇民将来が販売されることで全国的に名前を知られています。上田市立信濃国分寺資料館が監修した「蘇民将来符その信仰と伝承」というページに「蘇民将来符の頒布習俗は全国各地に伝承されていますが、信濃国分寺の蘇民将来信仰はとりわけこの習俗の典型例」と記されています。500年前から継承されてきた縁日は、毎年10万人近くが訪れるので、今年も大変なにぎわいが予想されます。
9、10日には「松本あめ市」が開催。あめ市は、今から430年前の永禄11年、甲斐の武田と対峙する今川、北条両氏が、共謀して武田領(甲斐・信濃)への塩の商いを禁止。武田領はすべて山国で、甲斐・信濃の人民は困り果てました。これを聞いた越後の上杉謙信は、「戦いは兵をもってするものだ」といって自領はもとより他領の商人に対して値段を上げることなく塩を送ることを命令。1月11日はその塩が松本に到着した日として、これを記念し始められた塩市が起源といわれています。ほんとうかどうかはわかりません。この塩市が江戸時代の前半には「あめ市」となり、幕末から明治以降は「初市」と呼ばれて、近年ふたたび「あめ市」に戻り、現在に至っています。松本市中心市街地では全国あめ博覧会(午前10時−午後4時、中町蔵シック館)が開催され、福あめ、だるまを販売。10日は一帯を歩行者天国(午前10時半−午後3時半)にし、時代行列(11時ころ)など、各商店街でイベントがおこなわれます。
11日は祝日で鏡開きの日。年神さまに供えた鏡餅を小さく割って、焼いて、お汁粉などにして食べる行事がおこなわれます。もともとは武家社会の行事だとかで、そのため、鏡餅は刃物で切ると切腹のようだということから、手や木槌で割り、開くようになったことから、鏡割りでなく、鏡開きというのだそうです。でも、最近一般化してるビニールに収められた一体型の鏡餅だと、割るにしてもそのまえに、どうしても包丁を入れてビニールをカットして、鏡餅を取り出さなくてはなりませんねえ。正しい一体型の鏡餅の取り出し方など、鏡餅のことは、日本鏡餅組合のホームページへ。
長野県の冬の特徴 長野地方気象台のウェブサイトより
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