新信州暦 あんずの味覚に一瞬の初夏を悟る

03annzu.jpgいよいよお待ちかね、全国でも圧倒的な生産量を誇る善光寺平は千曲市のアンズが本日(23日)より出荷となりました。詳しくは今週の別記事にもありますが、春先に濃いピンク色の花で染めあげられたこの平野部も、今ではふくよかたる甘酸っぱい香りに包まれています。しかしそんな香りに酔いしれることなく農家の方は、早朝から晩までそれこそ寝る時間を削りながら収穫と出荷の作業に追われる奮闘の日々。アンズは品種などにもよりますが、もっても大体1週間という熟度の速さ。というわけでこの味覚が味わえるのもほんの一瞬ですから、この時季だけにしか味わえない千曲市のあんずを、どうぞ食べてみてください。地元JAちくまでは品種を変えながら7月中旬まで出荷の予定ですが、加工に向くものや、生食で美味しいものなどいろいろな品種がありますので、ご希望の食べ方に合うものを選んでお楽しみを。JAタウンまたはJAちくまであつかっています。

01hotaru.jpgホタルの便りが聞こえてきました。東日本随一といわれるゲンジボタルの名所、県南部の上伊那郡辰野町の松尾峡では、辺りが薄暗くなると同時にホタルが舞いはじめ、柔らかな光の幻想的な世界が繰り広げられています。そして今年は例年以上の数のホタルが期待できそうだとか。辰野町のホタルは今月25日頃ピークを迎え、7月上旬までその光景を楽しめるということです。

12mugi.jpg近くの田んぼから聴こえるカエルのご機嫌な程の鳴き声にもすっかりと慣れてしまった今日この頃ですが、長野道の豊科インター付近の眼下には、緑一面まるで草畑かと思ってしまうほどに青々として清々しい様子の田んぼが見られます。以前より稲はだいぶ大きくなって成長しています。そんな田んぼが広がる一角に、フサフサと風になびかれているこんがりとした色のものが麦。今年は天候不順等の影響で収穫が遅れ気味ということですが、大麦はすでに収穫が行なわれており、週末あたりからは小麦の収穫も行われる予定だそうです。

cauliflower_cloud.jpg14日に梅雨入りをした長野県では短い時間ですがよく雨が降って、蒸し蒸しとして首筋にじんわりと汗をかくことがしばしばです。でも夕方は風があるせいで、窓を開け放てば爽やかな風が一瞬にして暑さを拭い去ってくれるのがマウンテンカントリーのありがたさ。日中は冷房の効いた涼しいオフィスの中で気づかなかった昼間の暑さを、仕事帰りに見上げる空に浮かぶ、モクモクと形がくっきりとしたカリフラワーのような雲に思うのでした。

02ajisai.jpg長野市街地を彩っていたツツジの花は、湯の丸高原(東御市)など標高の高い場所へと見所を移し、今市内ではアジサイの花が、徐々にアジサイらしく色付きはじめています。そしてすれ違う小学生の肩から下げられているカラフルなバックに、それが水着袋だと気付きました。子供達は一足早く夏を実感していたのですね。ちょっぴり羨ましくもあります。

q_ri.jpg昼間の十分な気温によって、畑では様々な野菜たちが育ち盛りの子供のようにグングンと成長中です。サラダに浅漬けにと夏の食卓に欠かせないキュウリが採れはじめました。採れたてのキュウリは皮も中身も軟らかく、味噌をつけてぺロリと1本、あっという間に無くなりますが、これから暑くなるにつれて食べるのに追いつかない程に実をつけるキュウリ。ご近所さんに配ってもまだあまるほどで、行き場を探していて収穫が遅くなってしまったキュウリが台所に転がっているのが毎年の光景です。

05tamanegi.jpg玉ねぎの多くがぐったりとして葉を倒しています。となればこれがいよいよ収穫期を迎えたサイン。信州は玉ねぎの季節です。玉ねぎの産地である県北部の千曲市や中部の安曇野市では、先頃玉ねぎの収穫祭も行なわれました。甘くてみずみずしい新玉ねぎ、血液サラサラ効果を狙ってたくさん食べたいものです。

06jyagaimo.jpgトマトはまだまだ青いですが、しっかりとしたその堅い実は見るたびに大きく頼もしくもあります。ジャガイモは葉っぱを繁らせ、白い花が咲いています。その白い花の形、そういえば紫色をしたナスの花に似ていると思い、本をめくれば、ジャガイモもナスと同じナス科と記してありました。トウモロコシは、既にヒゲをなびかせる程に成長している家もあります。いよいよ来月半ばから県内各地でこの甘く黄色い粒にかぶりつくことができるでしょうか、その日がとても待ち遠しくてなりません。

09hatiku_fuki.jpg県北部の直売所に並ぶタケノコが、あっという間に売れていきます。特に人気なのは、黒姫、飯山、野沢温泉、志賀高原など積雪の多い標高の高い山に生える、すらっと細いタケノコの「ネマガリダケ」で、男性客が買い求める姿も多くみられました。またそれより南下したところに生える長野市中条や大岡、上水内郡小川村では、直径5、6センチ程のアクが少なくて軟らかく、煮物に最適な「淡竹(はちく)」も人気。さらには山ぶきにわらび等そろそろ今年も食べおさめとなるこれらの山菜にも多くの人の手が伸びていました。

umeboshitsukuri.jpgそして今の時期にやっておかなければならないのが小梅の梅漬け。県北部の中条では少し前に「小梅とりツアー」も開催されていましたが、店頭では既に売り切れのところも多く、買い求めるのに店を何件も廻った人も。そしてこれからは大梅の出荷が始まります。直売所は混み合うほどに人々はこれらの山菜や梅をごっそり買い求め、両手の買い物袋は破けんばかりに満杯。そして帰路につけば保存食作りの手のかかる仕事が待っていますが、これはこれで大変でも楽しみな作業です。

tekka.jpg果物の作業にも大忙しの日々を迎えています。広く県内各地ではリンゴにナシ、モモ、ネクタリンなどの摘果やブドウの房づくり等の作業に農家が勤しむなか、県内外からの果樹オーナーはもちろん、県外からの学生も体験に訪れ、農作業のお手伝いをしてくれました。みなさんの一生懸命な思いがちゃんと通じておいしい果物が出来ることを願うばかりです。

11burokkori.jpg県南部の伊那市ではブロッコリーの出荷が最盛期を迎えました。また県東部の標高1600メートルの菅平高原では、レタスの出荷もはじまっています。冷涼な気候を利用して作られたレタスは、やわらかくてみずみずしくて甘味の濃いのが特徴です。菅平高原のレタスは全国に、広く遠く、沖縄にまで出荷されていますので、店頭などで見つけた際は食べてみて、信州の初夏を味わってください。

04bara.jpg県内各地で開催されていた「バラ祭り」。今週20日で終了を迎えたところが多くありましたが、県南部・伊那の「しんわの丘ローズガーデン」では、まだまだ満開のバラが楽しめます。また県北部・中野市にある一本木公園でも見頃は過ぎましたが、引き続きバラが楽しめます。さらに県内では紫色が可愛らしいハーブのラベンダーも各地で咲きはじめました。

top_0623_small.jpg*巻頭のカバー写真を入れ替えました。先週14日の午後、長野県千曲市の農道を車で走っているときにタマネギ小屋を見つけました。採れたてのタマネギがぎっしり詰まっておいしそう! 思わず車を止めて近寄ると、タマネギの香りがあたりに漂っています。農村ならでは光景でした。


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greenapple-1.jpg夏至も過ぎて、信州も梅雨に入りました。「梅雨」と書いて「つゆ」と読ませるのは青い梅の実がなるころであるからと言われています。梅雨がはじまる初夏から盛夏にかけては、きゅうり、トマト、ナスなど水分の多い夏野菜が出回りはじめます。またあんず、桃、すいかなどの果実が熟れてくるのもこのころ。青い早生種のりんごも、7月の末には店先に並んで独特の香りを放つようになります。

rain.jpg『信州ことわざ歳時記』という昔の本に、長野市のある善光寺平のこの季節のことわざとして「犀川口の雨と隣のぼた餅はきっとくる」ということわざが引用されていました。善光寺平の盆地の西の縁にあたる犀川口の雨が、西から東に移動し、やがて盆地全体に広がる現象を言い表したものです。近所づきあいが生命線の昔の農村で、なにか祝い事があると必ずぼた餅を近所の親しい人たちに配るのと同じように、雨がやってくるさまをユーモラスに表現しています。

mountainsunset.gif天気が西から東に移動してくることは天気予報が発達した今ではほとんどの人が知っています。マウンテンカントリーの長野県では、飛騨山脈木曽山脈など南や中央や北アルプスの山々や、北信五岳(ほくしんごがく)などの西側の山々に夕日が沈み、ときとして残照と共に山脈の青い影が見事なシルエットを写しだします。その言葉に困るような美しさは、空気が澄み切った信州ならではの色彩の妙を見せてくれます。こういう夕焼けを眺めるとき、自分が信州にいることの喜びを思い、明日の晴天と平和を思う気持ちがわきあがってきます。

disaster.jpg梅雨に入ったとはいえ信州では、うっとおしい日が続くばかりとは限りません。しばらく雨が降った後、「梅雨の中休み」といわれるように西から天気が良くなって、青空と夕日が見られる日もないわけでもないのです。とはいえ昨今の梅雨時の局地的な集中豪雨は用心が肝要です。ここ数年全国的にとてつもない量の雨が空から降りそそぐこともあり、寺田寅彦博士の「天災は忘れたころにやってくる」の言葉をかみしめて、水害への用心を怠らないようにしたいものです。

naganologo.jpg25日は俗に「信州共和国」の国歌とされる「信濃の国」が信濃教育会雑誌第153号に発表された日です。1892年、明治25年のことでした。作詞は当時長野師範学校の漢文の教師だった浅井洌(あさいきよし)という人です。最初この歌は、同じ師範学校の教師である依田弁之助が作曲しましたが、曲風が古すぎて歌う人はいなかったといいます。しかし翌年、長野師範学校の記念運動会で、女子部生徒の遊戯用として、現在の東京芸術大学、当時の東京音楽学校卒業で、長野師範学校に依田の後任として青森県から赴任してきた北村季晴(きたむらすえはる)が曲を作り直したところ、これがたちまち長野県の人の心をつかまえて、広く歌われるようになったとされます。長野県の県歌として指定されるのは昭和43年、1968年のことでした。「信濃の国」は六番まであるのですが、筋金入りの信州人だと三番まではそらで歌えるらしいです。

chinowa.gif26日は、夏至を過ぎて最初の満月。宵の口、まだ満月が低い位置にあるころに、部分的な月食が見られます。月の出前後の19時16分に欠け始め、20時38分にもっとも大きく欠け、22時に終了するそうです。この満月を過ぎると、いよいよ今年も半分が終わります。今ごろは信州でも各地の神社で、6月の最終日には半年分の罪と汚れをはらい清める神事の大祓(おおはらい)が執りおこなわれます。いまごろは神社の拝殿の前に、「茅の輪」と呼ばれる茅(ちがや)や、真菰(まこも)、蒲の穂を束ねて作った大きな輪が設置されていて、これをしきたりにならってくぐる行事が行われています。sominshorai.jpg夏越の祓といって、この輪をくぐることによって災厄や疫病から免れることが出来ると言われます。この神事が、広く行われるようになったのは、「蘇民将来(そみんしょうらい)」の故事にもとづいています。神代の昔、須佐之男命が、蘇民将来に一夜の宿を借り厚いもてなしを受けたお礼に、病気にかからない霊力のある茅(かや)で作った輪を授けたのです。「茅の輪」の力のお陰で蘇民将来の家族は末永く栄えたとか。以来、人々は「蘇民将来の子孫なり」と口々に唱え、「茅の輪」をくぐるようになったとか。茅の輪くぐりをさせてもらえる神社は幾つもありますが、信州には「蘇民将来子孫」と記された札を玄関にかける家も多く見うけます。


indexarrow.gif 長野県の夏の特徴 長野地方気象台のウェブサイトより

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農畜産物や店舗・施設の状況は変わることもございますので、あらかじめご了承ください。

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